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鍾徳勝インタビュー採録

鍾徳勝インタビュー採録  Text by 趙駿

2000年7月中旬から月末まで、廣州の映画人と迷が集う「縁影會」が『香港独立影展』を開催。
香港産独立(自主製作)映画だけの映画祭である。
協賛は南方都市報。
南方電影論壇主催の迷と監督の集い(ティーチ・イン)には『心灰』の監督、鍾徳勝も登場した。

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以下、縁影會より許可を得て記事を転載。日本語訳=LIN

まず鍾監督がこの三部作を制作した過程をお聞きしたいのですが。

 

 この三つの作品は、まず最初に『別郷』を1996年に撮影し、すぐ後に『史丹利』と『心灰』を作りました。'96年に撮り始めた時は、三作品である繋がりをもったテーマにしたかった。具体的には同性愛をテーマにした映画で、同時に香港における「外国人」についても表現したのです。それが発展してこういう三つの映画になったんです。

 

あなたが自主製作映画を作ろうとした過程をお聞かせ下さい。

 

 はい。香港には芸術発展局という政府機構があります。1996年から自主製作映画に対する助成を始めました。自主製作映画撮影の申請をして、審査を通れば撮影資金の援助が受けられるというものです。『別郷』は香港芸術発展局の助成金で作られた、一番最初の映画です。その後多くの監督が助成金で映画を撮りました。その中には、今回ここで上映した張偉雄監督の『惑星軌跡』もあります。彼の前作『月未老』はその助成金によって製作された最初の長篇映画で、その後も援助があります。このように自主製作映画を作っていますが、昔はこんな風に容易に資金を得る事は出来なかった。以前、自主製作をしようという香港人は皆、自力で資金を集め、その過程は困難を極めました。90年代初期、香港映画界は活気づいており、それ相応に映画を作るにも金がかかりました。例えば外国の自主映画界ではプロのスタッフ、キャストが多いのです。彼らは比較的安いギャラでも自主映画製作に携わってくれる。まず半分ほどのギャラを払って、映画が出来上がった後に残りのギャラを支払う。役者もそう。外国ではそれが当たり前に行われています。だが香港の経済環境は特殊です。物価が異常に高く、ギャラも比例して高い。芸能界の環境は、自主製作をする人間の為にはない。僕が映画を作り始めた当初は、そういう困難な状況下から全てをスタートさせました。例えば撮影クルーを探すにしたってプロを見つける事は大変でした。僕が最初に映画を撮った時は、ある香港の大学の、テレビ映像科で製作して学内の人材(学生や技術職員)を探しました。『別郷』を上映した時に、ああ香港にはこんなに自主映画を作る人がいるんだなあと判り、以後スタッフ、キャストを探すのがラクになりました。『史丹利(Stanley Beloved)』撮影時に知り合ったのは、当時香港芸術センター勤務だった郭偉倫です。彼は後に僕の仕事を手伝ってくれたし、以前一緒にやった事のある学生も参加してくれました。おかげで『心灰』は多くのクルーに恵まれたのです。『心灰』は35mmフィルムで撮りましたが、これは制作上重要な事です。多くの自主映画人はなるべく安上がりな方へと進みますから。僕が役者をどうやって探して来るのか、という質問はよくされます。ほとんどの香港の自主映画は、自分の友人達を使います。ある時、外国のように広告を出してみたら結構人が集まったのです。香港で役者を見つけるのはかなり難しいですからね。『心灰』の時は広告を出して募集しましたが、あまり連絡は来ませんでした。チャレンジしてみようという俳優もあらわれない。全てアマチュアの役者です。彼らは自分の生活の延長線上にあるものならば容易に演じられます。だが『心灰』はそのようなストーリーではないので、リハーサルにはとても多くの時間を費やしました。しかし彼らは役に入り込んでくれました。彼らのうち一人の本業は塾の講師だったので、キャラクターである大学教授役に入るのは簡單でした。映画の中で授業のシーンがいくつかありますが、撮影は順調で一日で撮りあげる事が出来ました。その他のシーンではかなりのリハーサルをしました。

 

あなたは次回作の準備をしていますか?

 

 次はカナダへ移住した香港人の話です。今まで同様に同性愛をテーマにしています。

 

『別郷』の中でフランスの詩人ランボーの詩を引用していますが、ストーリーや映画とどう関係がありますか?

 

 僕はその事をあんまりよく覚えていないんですが(笑)
関係はありますが、直接的に、ではない。その意図するところがはっきり観客に判らなくても、と思いました。キスシーンと関係する所ですが、この詩の情感や雰囲気が、わずかに映画のストーリーに影響している部分を「感じ取って」ほしいとは思います。今解説するのは難しいけれど、この三つのストーリー(『別郷』『史丹利』『心灰』)は、一人の少年、一人の青年、最後には一人の中年の「物語」です。人生の歩みと同じ。歳をとればとるほどに人生の選択肢は減っていきます。

 

私が注目したいのは、あなたの作品に登場する人物のほとんどが香港で暮らす「外国人」だという点なんですが、作品と香港の文化的背景は関係があるのか?「外国人」を登場させるのは何故か?をお聞きしたいです。

 

 僕が思うに、このての話題に触れている人はそう多くはない。僕の映画のテーマは、香港人にとって「家とは何か」に関係があります。あなたが言うように、どのような文化的背景があるか、どういった環境で育ったか、僕はこの事には非常に興味があります。なぜなら僕自身が海外で暮らしまた香港に戻って来た時に、第三者である「外国人」の目で香港を見ていたからです。香港に住む「外国人」や香港に長く住んでいる人々というのは、僕同様に香港に対して単純な感情だけを持ってはいない。香港は僕にとって生れ育った場所であると同時に、まるで見知らぬ場所のように感じられる時もあります。この複雑な感情は正に『心灰』の劇中で、教授が語ったジェイムス・ジョイスという作家に似ています。「彼ら」はある理由から自分の國を離れるが、自分の作品の中でその「國」を描き続ける。自分の家に対して複雑な感情がある。ですから僕は映画の中でそういった感情を表現もしたいし、「外国人」を登場させます。もしその地で生れ育っただけの人間であれば、そういった問題にも直面しないのではないか、と思います。

『心灰』の中で、若い主人公がなぜ教師を好きになるのか、という部分は説明不足だったと思いますが。

 

 シナリオが良くなかったのかもしれない。僕自身は良いものにしたかったが、あなたが説得力を感じられないと言うなら、それは僕が原因ですね。いくつかの情況があります。青年(Mark)はHughと自分に同じものを感じた。彼ら二人は今自分が置かれた位置に属する事が出来ず「浮いて」いる。それは家庭環境やセクシャリティや外国で暮らすという事などです。彼らは孤独な人間同士として出会いました。青年がHughに惹かれていった過程は、ある種今まで触れた事のなかった文化に感化されていくようなものでもあります。本を読み、芝居を見て、大学に通い、彼自身が自覚していく。彼らが一夜を過ごした後、Hughも青年に対して想いを持ちますが、彼は失業したくない。だから青年を遠ざけます。その一方で二人の想いは確実に恋愛感情へ向かっていきます。あの墓地でのシーンの後にHughの想いも変化していきます。

 

人種の違う人同士が(お互いが)同性愛のようだ、と判るのですか?香港でのゲイの情況を具体的に教えて下さい。

 

 香港のゲイの多くはあまり良い状況下にはないです。ゲイバーかディスコしかないですから。そこにはとにかく外国人が多いので、手っ取り早くセックスをと思うと、相手が外国人になるケースが多々有る。ゲイが集まる場所といったら。そういう外国人が頻繁に現れるようなゲイバーですね。

 

映画の為に実際に自分で体験をしてみましたか?

 

 (笑)この問題はそういうものではないです。

 

映画の中でバスルームのシーンがありましたが、とても美しい場面でした。しかしあまり体が触れあうようなシーンはなかったですね。

 

 あなたが言ってるのはセクシャルな意味で?(笑)。彼らの関係が始まった時に、愛はもっと深く折り重なっていきます。

 

映画の中でジェイムス・ジョイスの小説が出てきます。お聞きしたいのは、ジョイスの小説が持つ漂泊感のようなものは、作品中の恋愛感情と何か関係があるのか、という事です。

 

 それは主に、ジョイスのベルリンとアイルランドに関する部分ですね。Hugh自身も、また自分の郷里を離れている。だがHughは初恋を書き続ける。彼は過去の生活や恋愛感情から抜け出したいと思ってはいたが、彼自身が言うように彼の書いたものは融通がきかない。彼は香港に来てからの自分や香港での何かについては書こうとしない。全てが過去のもの。彼がこれらを越えていかなければならない。

 

あなたの映画で表現される男性が男性に抱く愛情は、肉体的なものよりも精神面でのものが多いですね。

 

 実は!肉体的なセックスの部分を描きたいと思っているんですが、プロとアマチュアの役者を起用する際の問題があります。僕は『心灰』には激しいセックスシーンが必要だと思いましたが、役者を説得する事が出来ませんでした。彼らはプロの俳優ではない。本業が他にある。彼の職業は子供達の塾の先生です。もしこの映画を多くの人が見てしまったら困る、と思っている。だから僕らは香港でこの作品のポストカードを宣伝配付する事も出来なかったんです。

 

『別郷』は非常に短い作品でした。あなたは長篇よりも短編に力を入れているのですか?

 

 長篇は撮りたいと思っています。『別郷』は僕にとって練習みたいなものでした。あとは実際のところ金がなかったんです。わずかしかない製作資金でどう撮るか。考えた末に三つに分けた短編を撮ることにしました。これならなんとか節約出来る。毎回一日で撮影をする、引き続き次を撮影。『心灰』はこれとは違い、始めからひとつのストーリーとして考えてはいました。僕はだんだんと長編を撮っていきたいと思っています。次回作は90分の長編にしたいですし、多くの観客に見て欲しい。フィクションの世界は最大の意義があると思いますから。

監督から会場に対しての質問:『史丹利』には字幕がありませんでしたが、どうでしたか?

映画ファンA:英語に字幕がなくても大丈夫でした。ただフランス語は香港人にもそんなに理解出来ないのでは?

 撮影中は思い至らなかったんですよ。僕はカナダで暮らしていましたが、カナダでは英語とフランス語、両方使うんです。だから香港人もフランス語は判るものだと思っていました。『別郷』の時に、じゃあみんなが理解出来るように英語にしようとは思いませんでした。原語のもつ音楽的な響きがとても好きだからです。

 

私はあなたの撮影方法が映画によって違う事を見つけました。たとえば『史丹利』と『心灰』。ちょうどあなたは張偉倫が『史丹利』の撮影に参加した、と言っていましたが、ここでは激しく移動するカメラワークが使われましたが、『心灰』は一転して平坦なカメラワークでした。どのような意図があってのものですか? 

 

カメラや撮影の仕方はそのストーリーに合わせたかったんです。あるひとつのやり方ではなく。『史丹利』では張偉倫がカメラを回しました。しかし『心灰』は35mmフィルムを使用しました。張偉倫は35mmを扱った事がなかった。今自分で『史丹利』を見ていて、あのカメラワークはちょっと気に入らないなと思います。例えば主演の子が泣いているところなどですね。出来ればもう少し違う方法でもってあの心情を表現出来れば良かったんですが。

 

香港の自主制作映画人はどのように協力しあっているのでしょうか?

 

 頻繁に行き来しています。そんなに均等に何かをしているわけではありません 。監督は非常に多いんですが、カメラマンが少ない。張偉倫はカメラマンですが、経験が少ないです。彼は35mm撮影の経験もなかったんです。なので『心灰』の時は彼に頼まずに自分でカメラを回しました。かなり緊張しましたけどね。あとは周強、彼は普段は別のクルーで音声をやっています。そして余力為、彼は大陸での仕事をメインにしていますから、あまり一緒になる機会はないんですが。基本的に香港の自主制作映画の世界はあまり広くないので、常に会っては話し合ったりしています。

 

好きな映画はなんですか?



 今年見た中で一番良かったのは『男男女女』です。スタイルもいいし役者も演出も素晴らしい。ストーリーの運び方も良かった。

それと特別監督がいいというわけではないんですが、ストーリーに惹きつけられたのが『ブエノスアイレス』です。それに昔好きだったのが『マイ・ビューティフル・ランドレット』という1985年のイギリス映画で、スティーブン・フリアーズ監督作品です。パキスタン人と白人の話で、ゲイ映画です。僕が好きなのは、この映画の中にはイギリス国内のパキスタンコミュニティから、人種、階級の問題までが描かれており、この映画からかなり影響を受けました。ですから僕が映画を作る時は、ただゲイの恋愛ロマンス的な面だけではなくて多様な要素を含めたいんです。近頃のゲイ映画は製作者の欲求が反映されているのか、ただの恋愛ものが多いような気がします。僕に言わせればそういう作品にはあまり意味を感じません。

 

どのような表現に意義があると考えていますか?



 今も言いましたが、文化、人種、ヒエラルキー、年齢、などの問題です。『ブエノスアイレス』はただのゲイストーリー以上に、二人の人間が異郷の地で感じるものが色々なものを含んでいました。香港に対する感情、二人の関係に対するもの、そういったものが映画から感じられました。

 

なぜそのように文化や人種間の軋轢などを特別とりあげたいんですか?



 特別ではありません。異性愛の人々だって同様な物語を持っているでしょう?一人の女子学生でも何も特別な存在ではないです。でもそんな映画は他人がさんざん撮っています。だから僕はこういう作品を撮り続けるんです。それと彼らの関係は異性愛間では起こり得ないものを含んでいると思います。

 

あなたは今後も同性愛をテーマにした映画を撮りますか?

 もちろん!

『史丹利』(スタンレー)とはどういう意味ですか?

 スタンレーは香港の赤柱(chek chyu)というビーチの英語名です。皆さんは香港の地形についてあまり詳しくないですか?赤柱は香港の南部にあり歴史的にもとても外国人が多いところです。第二次世界大戦の時に、軍キャンプがそこにあったからです。キャンプはいまだにそこにあり、戦時中監獄もありました。赤柱監獄はイギリス軍とイギリス人の監獄でした。最初のシーンはその中にあるイギリス軍墓地です。中にはかなり特別な、19世紀頃の墓碑もあります。現在、赤柱は有名な観光名所でもありますが、そのもっと以前には香港の古い漁村でした。映画の中ではっきりと説明したわけではありませんが、ある香港の記憶がそこにはあります。

 

あなたの経歴やプライベートは、作品に影響していますか?



 先ほども言いましたが、僕は海外で留学生活をして香港に戻ってきました。僕は香港の文化に大変興味がある。例えば、香港にいる外国人。香港は表向きは国際的な都会です。多くの人が英語が喋れるとか。しかし実際彼らの文化はまったく西洋化していないんです。むしろあまりに伝統的です。彼らと外国人との関係とは本当にかなり奇妙です。植民地だったという事と関係があるんですが。廣州の外国人と香港の外国人ではかなり違うと思います。香港では「ガイジン」はレベルが高い位置におかれている。香港は彼らに対して畏敬の念を抱いていて、はっきり分けようとしている。僕はこの現象にとても興味があります。自分の経歴についてですが、この三つの映画に僕の個人的な何かは全く描かれていません。今の自分はまだ創作の中に、あまり自分自身の何かを投入しようとは思っていません。『史丹利』も、彼ら二人のストーリーです。あるビーチで、一人が子供時代のテストの事を思い出す。もう一人が彼を支える。これは彼ら自身のストーリーなんです。あるキャラクターから出発したい、僕自身の経歴からではなくて。『心灰』のHughもそうです。『心灰』にはもう一人のHughがいます。彼はゲイではない。香港大学で教鞭をとっているが私生活はそれほど楽しいものでもなく、毎日酒をあおっている。シナリオを執筆しているがそれも成功していない。彼が書いているのは自分の初恋の話ではないがなかなか面白みがある。香港とは何の関係のないある音楽家と第一次大戦時のイギリスの詩人の話で、現在の香港とは無関係。これがHughを演じた役者の本当の生活です。だから彼は自分でHughというキャラクターを書き直したのです。

 

映画音楽については?

 

『史丹利』ではイギリスのPOPミュージックを使いたかったんです。『心灰』ではもっと軽くて安っぽい感じの音楽を。実はそういうのはあまりいいやり方ではない。許鞍華が、まるで大騒ぎするみたいに音楽を使い過ぎちゃいけない、という事を言っていましたが、僕は音楽が彼らの感情の在り方を表現していくとも思ってます。映画音楽にはまた別の専門家を探さなくてはいけない。『心灰』では黄精浦に頼みました。彼は自分でも映画を撮ります。縁影會でも彼の作品を上映して下さい。彼は自分の作品には全て自分で音楽をつけています。

 

大陸のゲイをテーマに映画を撮る予定は?

 

 お恥ずかしい話ですが、大陸のゲイについては何も知りません。こんなに近いのに廣州に来たのも今回が初めてなんです。北京と上海には行った事があるんですが、これから徐々に知っていく機会があれば撮ってみたいとも思います。余力為は長い事大陸に住んでいますが、僕はまだ知識が浅すぎて、大陸の何かをテーマにして撮る事は出来ません。

 

三作品のうちどれが一番好きですか?

 

 三つとも、本当はあんまり好きじゃないんです。しかし『史丹利』は最もいい成績でした。あまり長くない作品なので海外の映画祭にに出品しやすかったんです。スペインの映画祭で監督賞をとり、スペインとフランスのテレビでも放映されました。結果、多くの人に見て貰えましたから成功した作品ですね。

 

あなたはストーリの題材を選ぶ時、それが典型的である事を望みますか?

 

 僕がシナリオを書く時には、自分がよく知っているものしか書けないけれど、ただ単に典型的なものを並べたいわけではありません。『心灰』で傘を借りるシーン、あれはかなり古臭い表現で、もし僕にセンスがあれば皆さんも深いものを感じてくれたはずです。色んな方法や構想があるけれども、あまりに現実離れしたものは好きじゃない。変ですから。普通の、人と人の関係の中でのいくつかを、芝居の構想として現していきたい。

 

作品中ではゲイが受けているプレッシャーなどについては言及していないですね。

 

 そうです。僕は本当にセンスがないと思いますね。このストーリーの中心は彼ら二人の関係であって、何か衝突が起こるとすればそれはHugh自身の生活に対する不満や、彼の仕事や香港の現状にです。そうやってもがく事で、二人の間に波が起きるんです。同性愛の上っ面だけに焦点を当てたくはない。それでは多面的な表現は出来ませんし、実際彼らはプライベートな事を簡単に他人には漏らさない。この作品の中で、そういった部分をあえて語らずにストーリーが進んでいくのは、不自然な事ではないのです。

 

香港の自主製作映画全体が発展していくのと、あなた個人が世に出るのと、どちらを望みますか?

 

 僕はどの國でも映画産業を整える必要があると思います。もちろん、そこには主流もあれば非主流もある。香港がダメなのは主流しかないからです。観客は見るものを自分で選択出来なければ。自主映画の発展は人材によります。香港からいい人材が現れるならば、例え非主流であろうと作品は作っていけます。どんな映画を撮ろうとも、それを見た人との出会いがある。香港映画界にはこれからもっと自主映画を受け入れていくでしょう。映画館でも自主映画を上映するようになってきたし、以前より場所は広がっている。映画の本質とは監督自身の修行です。

 

今後チャンスがあれば大きい映画会社と仕事をしたいですか?

 

 僕は永遠に香港の主流には属さないと思います。僕の映画は大衆受けしないし、ゲイをテーマにしたものを、香港は決して受け入れません。だが、ある意味ゲイ映画というのは国際的なキーワードになっています。どこの世界にもゲイはいる。どこででも小規模ながらもゲイ映画は作られています。僕はその道を歩いていきたいのです。

 

それはこれからもずっとゲイ映画のみを撮って行く、という事ですか? 

 

いいえ。だが僕は次回の長篇でもゲイをテーマにしたい。また少ない資金で作ります。そこに国際的なものがあればいいと思いますし『史丹利』はその道を開いてくれました。ゲイというテーマは世界に通じるものだという事です。それができれば、と。

 

鍾監督ありがとうございました!

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