DoubleMintGum

I'm a Feminist,Shipper,Slasher and Fan girl.

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映画『男男女女』

 『男男女女』(1999年、脚本/出演)
      

      

創作手記
         私達は10日あまりで一本の映画を作った。ある一本の真摯な映画。原題を『燦爛公厠(Brillat WC)』、こと『男男女女(Man Man Man Woman Woman Woamn)』という、ひとつの斬新な国家だ。私達のこの映画国家は政治団体ではなく、政権もなく、首都もなく、官僚もいなければ民衆もいない。あるのは ただ各分野におけるプロフェッショナルと、協力者と、35mmフィルムと、EASTMAN製のフィルムの上に描かれた前人未到の「歴史」だ。私達の「歴 史」の中の現実は全て今ある中國の姿ではあるが、しかしそれはちょいと拝借しただけの風景にすぎない。私達は支配者から操られることなく、それをひとつの 文脈に書き換えた。ゲイの愛情を自由な詩として広げていくために。
         同性愛或いはホモセクシュアリティ。依然、異性愛はこのように性を区画分けし、臭いものには蓋をする。私達は同性の恋愛をテーマにした映画を作る。自分 達をクローゼットに閉じ込めてしまおうとは思わない。ひとつの新たなるコミュニティと社会の創造である。シナリオを書く際に私は小博という人物を「ノンセ クシャル」に位置付けた。彼はこの映画の中で唯一、一貫したキャラで、言うなればそれは私の立場であり、或いは私の理想だ。要するに、彼は全てを成りゆき 任せにして特に強烈な「選択」をするわけではない。彼はただ指図される。まず青姐が阿夢に彼をひきあわせる。彼は彼女にまったく興味を示さない。阿夢は彼 を勝手に「女が好きじゃないんだ」と決めつける。青姐の夫は更に彼に「指図」する。しかもかなり荒っぽく。彼は小博が「女が好きじゃない」のならそれは男 が好きなんだろうと、小博に襲い掛かり、結果拒否される。「大の男」が大恥をかかされたと怒り心頭に達した夫は、小博を罵倒する。悪いのは全て小博であ る。徹頭徹尾ヘテロな彼には小博のような存在こそが驚異だ。大康の家を出た小博は路頭に迷う。そこで彼は同郷の冲冲と知り合って居候するのだが、冲冲は同 性の恋人と暮らしていた。これに対して小博はまったく驚かず、まるで青姐と大康の家にいた頃と同じように自由に振るまい、馴染む。違う事といえば、冲冲が だんだん小博を愛し始めていくことだ。小博はそれを拒絶しないが、彼が冲冲を好きであるとは見てとれない。彼はなぜか人に好かれてしまうのだ。青姐も彼を 気に入って親身になってくれた。また冲冲もそうだ。違う事といえば、冲冲と小博が同じベッドで眠っているのを見た沖冲の同居人帰帰が、怒ってこう決めつけ たのだ。「彼は同性愛者だ」。小博はまた「指図」された。小博は拒絶しない、また受け入れる事もしない。なぜなら、なぜなら彼は天真爛漫なのだ。
         天真爛漫。小博という人物を語る上で、この映画を語る上で非常に重要な事だ。これは私達の本来の性質である。愛。愛を表現する。愛を受け入れる。性別 も、セクシャリティもない。誇大する事もない。無理強いする事もない。愛は日常の全てと関わっている。この「霊感」は小博を演じる於博という役者自身から きている。彼の私生活そのものが、ぼんやりしていてちょっと天然で、過去も現在も、文化に汚染されていないのだ。愛を受ける彼の心は子供のように喜びであ ふれている。無論その愛は家族やガールフレンドや、そして撮影隊の中の同性愛のスタッフからもくるものだ。
         傷付きやすい私達の心、愛の輝きはその中にも浸透していく。聞こえのいい理想主義的な言葉ではあるが、だが確実にそれは私達の暮らしの中にあり、映画の 中にも絶え間なく現れる。これは事実だ。からっぽの理想を掲げているわけではない。シナリオを書く時に私は意識的に、ゲイ文化のイメージといったものを打 破しようとした。キャラクターを孤立化、独立化、浮遊化させた。あくまで自分のセクシャリティを隠す、カミングアウトする、性指向自認に苦しむ、差別と逆 差別、ゲイバー或いは公園、公衆トイレでのセックス、ゲイグループとゲイ解放運動、といったものから。私達がこの映画を撮ったのが1999年、セクシャリ ティをめぐる政治は既に単純な「同性愛VS異性愛」という図式とは異なり、「クール」なんだとか。
         監督の劉冰鑒とは創作の立場で、すぐに意気投合した。私がスタッフとして加入する前彼が用意したシナリオは、逆差別的ともとれた。その為に、私がシナリ オに着手してから撮影が開始するまでの時間はたったの四日間、その中のわずか一日で役者とリハーサル。このような短時間で書いたものだけに科白の推敲も咀 嚼もままならなかった。撮影中少しでも空いた時間、役者達がリハーサルしている最中も、うろついている時もつかまえて手直しした。幸いにも私は劇中で帰帰 を演じていたし、ほとんどの役者とは友人だったので、普段の彼らの個性や話し方のクセを熟知していた。彼らも積極的にシナリオや科白に自分の考えを出して きてくれた。例えば、青姐が夫の大康に別れ話を持ち出す重い場面の後、すぐに次のシーンに行く。青姐は電話で友達の阿夢を呼び出す。阿夢は彼女の新しい パートナーだ。私が当初考えていたのは、阿夢がタクシーを呼んで青姐を迎えに行く。二人が青姐の家を離れる時、意気揚々とした雰囲気を出したかった。しか し青姐役の楊青はこう提案してきた。青姐がタクシーに乗った後、すぐに停車させる。青姐と阿夢はタクシーを降りて、どうしても二人で押して歩かなければな らない。リハをしたら、彼女の提案は満場の拍手をもって受け入れられた。本番では、この夜のシーンにたった一つの照明だけで全スタッフが完成に向けて力を 注いだ。タクシーが去っていく長い道を見つめながら、疲労困憊した私の体の内に、深い深い感動が沸き上がってきた。きっかけは、親友の黄羽中が私にこの映 画に出演するように誘って来たからだ。しかし、クランクイン当日の午前2時、彼は撮影から手を引くと言ってきた。電話のベルは疲れた私を眠りから引きずり 出した。私は友人の魏建剛に電話をして、彼に黄羽中が降りた公衆トイレ文学の作家、冲冲役をやってくれるよう頼んだ。私がシナリオを書く時、登場キャラの 名前は役者本人からとる。青姐は楊青、小博は於博、冲冲は黄羽中。彼はこの映画からは降りてしまったが、キャラクターには彼の一部分だけが残っている。

      

 映画の主要なシーンは北京の四道口、羊橋、中関村、小月河と三里屯で撮影した。もちろん室内でも屋外でも使用料を払う必要はない。こ の点は、シナリオを書く際に充分考慮しなければならない。最初はあるシーンを考えていた。青姐と阿夢が高級店で香水を買うシーン。だがそこでは使用料を要 求されるというので諦めざるを得なかった。スタッフの中には助監督がおらず、ほとんどの雑事は監督の劉冰鑒が一人でこなさなければならなかった。自然と私 は仕事を分担して、役者の演技指導、小博の衣裳、その場で小道具や美術もやった。帰帰を演じていて一番楽しかったのは、家を出るシーンだ。荷物を背負って 冲冲の家を出る。線路で立ち止まり、DJスタイルで恋の終わりを告げる。製作資金の全てが監督とプロデューサーのポケットマネーだったので、スタッフ全 員、一銭のギャラも出なかった。出演者も皆監督の意図をよくくんでいて、撮影前に2、3の映画のかけもちをしたが、この映画撮影中は一切かけもちをしな かった。実際の話、役者にとってこれは大変厳しい状況である。私達7人の役者の中で、楊青だけがプロの俳優である。於博も主演したのはこれが初めてで、魏 建剛も孟浩もそう。しかし、皆「リアルな演技」の風格さえ漂わせ、更に楊青が全体の演技を締めてくれたので、順調だった。クランクインして一番最初のシー ンは、帰帰が冲冲の家のベランダで「公衆トイレ・アワー」というラジオ番組をDJするシーンだった。録音の楊江は、独立してから初めての仕事で現場は同時 録音。彼の先生が現場に見学に来ていた。監督は私に2テイクやらせたが、カットされ、実際には2分も使われていなかった。まったく役者にとっては本当に残 酷だ。たった5日間で撮影して、一日で編集して。編集後、楊青と於博は本当にスタッフから絶賛された。私達は皆偉大な役者だ。

      

 劇中、裸のシーンが二つある。ひとつは小博がシャワーを浴びるところ、もうひとつは冲冲が夜中トイレに起きるところ。二人とも掛け値 無しに頑張ってくれた。小博の時は、湯沸かし器の火力が弱く、なんと吹き出したのは冷水だった。しかしフィルムの節約の為にそのまま演技を続けてもらっ た。真冬に冷水シャワーを浴びなければならなかった於博の体は縮こまり、撮影後、彼は風邪をひいてしまった。奇跡的に撮影中は大丈夫だったが、終了後に食 事をしていたら温厚でハンサムな於博は高熱を出してしまった。この時、彼は北京電影学院受験に備えて勉強していた。幸いにもこの仕事は彼の足をひっぱるこ となく、私達がスイスのロカルノ映画祭で国際批評家賞を受賞した時、彼も北京電影学院表演科の合格通知を受け取ったのだ。これで彼は楊青の後輩になった。
         エキストラはやはりスタッフが演じた。或いはその現場で急きょつかまえた。冲冲が四道口のある公衆トイレの中で、同人誌『燦爛公厠』編集長の名刺を出す シーンでの、便器でしゃがんでいる三人のうち一人は新彊の飴売り行商人である。彼は私達の要求に応え、持っていた商売道具の飴の箱をプロデューサーに渡 し、急いでしゃがみこみ冲冲の名刺を受け取ってくれた。いつもこのシーンを見る度に私達は感動してしまう。これらエキストラにも、当然ギャラは一円もでな い。私達が撮ったものが中國のイメージを「汚す」ものなのか。真実の中國とは実はここにある。国家政府が教えてくれるものではない。人間の素朴な心、それ は政治と経済の大局の中には現れない。
         1999年1月14日、『男男女女』の撮影は終わった。編集後、私達は映画評論家戴錦華とフランス『電影手冊』編集長Raab氏に、初めての観客になっ てもらった。戴錦華は私の友人で、彼女は作品に建設的な意見を出してくれた。それを元に我々は再度集結して、補足撮影をした。於博の髪が伸びてしまう前に 一日だけ集まり、撮影の徐軍と共に四道口、三里屯、羊橋を駆け回った。
         『燦爛公厠』こと『男男女女』は、友情の結晶と創造力の賜物だ。良い映画を作るのに必要なのは資金ではない、製作者だ。私達は、撮影にたった11万元、 ポスプロと合わせて、全部で50数万元だけの予算でここまでの完成度の映画を作った。これは1つの奇跡かも知れない。しかし、本当の芸術作品の誕生こそが 奇跡ではないか?

      

(監督/劉冰鑒、主演/楊青、於博、魏建剛、孟浩、崔子恩)

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