『心灰』 (First Love & Other Pain)
1999年/香港 監督/鍾徳勝(written&directed by Simon Chung)
ちょっとした思い入れとあれこれ・・・・
2003年の旧正月前後の香港で、この映画のVCDを手にした。
場所は油麻地百老匯電影中心内の店。
積極的に自主製作映画及びクィア映画、国内外の佳作を上映している映画館ならではな品揃えで、中でも「同志系列」コーナーでは、自主製作ものを含む中華圏、その他の国のゲイ、レズビアン作品のVCDを多数取り揃えてございます。 (もちろん、公開当時から『藍宇』には特に力を入れていたわけで)その中で選んだうちの一枚がこの『心灰』だった。
ちょっと「狙った」感じのジャケ写。あおりの文句・・・・学園内でおこった学生と中年教師の恋。「禁忌」を越えた愛の結果は?
買ったものの、そのまま数カ月放ったらかしに。その時手に入れた何枚かのVCDをまとめて見ているうちに、この50分の短編映画に一番「救われ」てしまった自分がそこにいた。
比べるつもりはないが、この映画の匂いは『マクダルの話』(原題:『麥兜故事』)にも通じるものがあるのだ、私にとって。
あらすじ
香港大学の学生、Markは同性愛者である。
彼が専攻した講議の教師Hughは英国人。
彼の中に何かを感じたMarkは、授業の感想をHughに渡したり(この時、講師の部屋に入る前、めちゃくちゃ緊張しているMarkが可愛い)こっそりHughの家を調べたりする。
そして彼が書いたシナリオで上演される、ある芝居の公演を知る。
それはゲイをテーマにした演劇だった。公演後Hughは「この事は生徒には言っていないのに」とMarkを牽制。しかしMarkはHughに「これは実話?」と聞いてみたり、果敢にアプローチ。飲みに誘ったり「帰りたくない」を表現してみたり。
両親の離婚後に父親を亡くし、シングルマザーである伯母と暮らすMarkと「初恋の痛手」そしてアルコール依存症に悩むHugh。
教師と生徒、という一線を越え、「鬼老(ガイジン)」と香港人、若者と中年、という線を越えていく二人。そこにはお互いの痛みや孤独を理解しようという姿が・・・・。
鍾徳勝インタビュー
聞き手:Brian Leung
香港で同志(ゲイ)映画を上映する道は近年増えてきたと思いますか?
「香港では作品を発表する空間(場所)が少ないが、その事を怨んだ事はない。僕が短編やゲイをテーマにした作品を撮り続けているというのがメインストリームに出れない理由だ。この道が少しでも広がっていけばいいと思っているけど、作品が世界各地で上映されている現状にも満足している。『史丹利(スタンレー)』の成績には本当に満足している(注:この作品は30以上の国際映画祭に出品された) 」
ゲイをテーマにした短編を撮る上で、キャスティングが困難では?
「まず自主製作映画には金がない。 役者を探すのも難しい。その上彼らは・・・・」
たとえ彼等自身がゲイであっても、そう見られたくない・・・・
「そう。だから選択肢が非常に限られてしまう」
『心灰』は植民地的な色が強く出ている。例えば'97前後にこのような「行くか」「留まるか」といった心情があった。この映画の中では一人の英国人「国外追放者」が、自分の国に帰るか、それとも自分の生徒であるMarkとこのまま香港に留まるか、という時。その中にある問題は人種、年齢、中年の危機、ゲイである、という事も含まれる。範囲はかなり広い!
「野心が大きいからね。それが成功したかは自分では判らない」
あなたはカミングアウト的なストーリーが好きなのでは・・・・
「君の見方は面白い。なぜなら僕の中で『心灰』のMarkは自分のセクシャリティ(性的指向)について、もがく必要がない。僕は決まり文句で事を片付けたくない。僕は『心灰』の二人の主人公は自分のセクシャリティを快適なものとして受け入れている、と認識してる。そうMark、彼には経験はないが彼は自分が何をしたいかハッキリしている。だからこのストーリーはこんなにも人を感動させる。『心灰』の二人はセクシャリティでは衝突しない、彼等の社会的身分で、だ!」
『心灰』の中での二人の関係は、典型的な香港での「湊鬼」(廣東語俗語なので上手く訳す事が出来ないけど、ガイジンをひっかける香港人、みたいな感じかと)を彷彿とさせるが、この関係はまるで外国人の面倒を見る中國人のようだ。なぜこのような設定を考えたのか?
「彼らは孤児のようだ、という思いがある。Markは幼くして両親と別れ、伯母と生活している。Hughも香港では孤独。彼らは自分が他人と違うと感じ、お互いの姿に自分の孤独を見ている。物語の背景は「植民地後」のとある大学。これは'97前後の多くの香港の大学の様子を反映している。以前多くの香港在住の外国人教授は皆安穏としていた。しかしこの状況は返還後、大きく変わった。例えば香港大学ではある学院の院長が、外国籍の教授を一掃した。人々は彼を陰でこう呼んだ「ゴーストバスター」と」
映画の中であなたはMarkの孤独感をはっきりと現している。彼が父親の葬儀の夢を見る所。これは彼が父の愛情を欲していたという暗示?
「ひとつの要素にすぎない。ただ僕は、Markが年上の男性に父親の姿を求めているということを観客に言いたいわけではない・・・・ 人を愛する理由はひとつではない。もしこの映画が成功したとして、観客は、二人が理論上の何かで片付けられる事じゃなく「心を繋げる」事によってお互いを愛していく部分を感じてくれるだろう。」
(以上。超意訳です、すいません by LIN)
1992年 『Chiwawa Express』 監督の鍾徳勝は、大学の講師(映像系)をやってると書いてありますけど(VCDには)・・・・去年(2002年)あたりの資料だと影意志の経営者、となってました。 |
蛇足 何でこの映画が好きか。舞台となる香港大学、英国文学の講議、そこでいきなり課題として出されるのがE.M.フォスターの『モーリス』というシチュエーションに。 が、それだけじゃあただのハイソなお話。 その『モーリス』を読みふけるMarkの「家庭の生活部分」の描写がやけにリアルだ。 伯母といとこと三人で食卓を囲みながら、
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