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2003年5月8日 新聞「上海壹周」張永寧インタビュー

2003年5月8日
新聞「上海壹周」/張永寧インタビュー

『藍宇』:追憶一個純粋的愛情

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 張永寧を見つけたのは本当に偶然だった。彼は上海で撮影中の關錦鵬の新作ドラマ『畫魂』に参加しているのだ。彼の出演部分は多くはないが(奥米の父親役)、映画『藍宇』のプロデューサーは關錦鵬と再び仕事が出来る事を喜んでいる。

「演じる事よりも、親友達にまた会えた事の方が嬉しいんだ」


『畫魂』スタッフは『藍宇』とかなりだぶっている。監督、二人の主演男優胡軍と劉燁。
私達は張永寧に、『藍宇』の事そして彼は『畫魂』の後に何をやるのか、を聞いてみた。

 張永寧はイギリス国営放送BBCのテレビ記者で、上海は彼がずっと注目していた都市だった。『藍宇』は上海で誕生したのだ。
1999年、彼は出張で上海に来た。とある友人が、彼に『北京故事』というインターネット小説を渡した。最初にその小説を見た時、彼は最後まで読めず机に放り出した・・・・小説の中には激しい性描写があり、彼は不快に感じたのだ。

「しばらくそのままにしていた。私はこの手のものに興味がなかったから」
ある晩、その小説を全て読み終えた瞬間、あろうことか感銘を受ける自分を押さえきれなかった。「一気にもう二回読み返した。読んだ直後ベッドの上でうずくまって慟哭した」張永寧は言う、小説の中にある真摯な愛の形に徹底的に打ちのめされたのだと。全てがふわついて不安定なこの時代に、こんなにも熾烈で強烈な愛の形。とことん愛するという事、とことん愛されるという事・・・・そんな思いを抱きながら彼は夜更けの外灘を徘徊した。そしてある考えが閃いた。これを映画化する。大スクリーンにかける。この映画は必ず多くの人の感動を呼ぶだろう、この愛はセクシャリティーも、男女をも超えるものだ。

「考えていた時、目の前には滔々たる黄浦江が流れていた。それを眺めていたら私の脳裏には様々な場面がはっきりと浮かんで来た。映画は私の脳裏の断片的なイメージを表現出来る。自分はこれを成し遂げなければならない」


まずは監督探しと資金集めだ。テーマが特殊なだけに、張永寧は監督探しは香港台湾で行う事にした。最初に浮かんだ名前は關錦鵬だった。


「關錦鵬の事を考えた時に、私は彼のセクシャリティーを知らなかった。ただ彼の『阮玲玉』と『ルージュ』がとても好きだった。直感的に、あのようなデリケートな情感を撮れる監督は彼しかいないと思ったんだ」


しかし、その時彼と關錦鵬はまったく面識がなかった。ある友達を探し、そのまた友達から友達へとコネを繋ぎ、やっと關錦鵬から電話があった。關錦鵬は穏やかな声で「わかった。香港で会いましょう」と。
その一言で、張永寧は北京から香港へ駆けつけた。初めて關錦鵬に会った時、張永寧はその脳裏に焼き付いた素晴らしい物語を語った。關錦鵬はただ静かに彼の話を聞いていた。首を縦にも横にもふらずに。その後、張永寧が北京と香港を往復して、何度目かに關錦鵬がこう言った「あなたは僕に何を撮らせたいんですか?」張永寧は確信した、この瞬間映画の半分は出来上がったのだ。

 關錦鵬の次は資金、そして主演俳優探しだ。
張永寧は決めていた事が有る、大スターを起用しない事と大陸の俳優を使う事。当初、彼は自分が陳捍東を演じるつもりだった。しかし胡軍の写真を見た時、その気がうせた。「私は關錦鵬と一緒に彼に会った。その時に彼と話したんだ」
張永寧は内心複雑であった。捍東役にぴったりの俳優を見つけた喜びと、自分がその役を出来なくなった苦しみで。しかしその後胡軍と連絡をとり、憂鬱な気持ちも消えていった。
「私は彼に、關錦鵬の映画だと告げた。彼は一言も答えなかった」
もう一人の主演男優を探すのもひと苦労だった。彼らは無数の写真を見たが、どれもしっくりこない。ある晩も収穫なく引き上げようとした時、劉燁の写真を見た。「一目見てこれだ、見つけた、と思った」
劉燁の映画『那山、那人、那狗(山の郵便配達)』を見て、更に彼らは満足した。『藍宇』には劉燁以外は考えられない。


「最初に彼に電話をしたら、忙しいからと言う。その後も。3回ともだ。關錦鵬はもう諦めかけたが、私は『藍宇』は彼だと思っていたから、執拗に劉燁に連絡をした」実に6回目の電話でようやく劉燁はやって来たのだ。しかし、その約束にも劉燁は1時間半遅刻してきた。

「彼を見るなり怒鳴りつけてやった。このガキ、なんていう態度なんだ、って。それに彼は關錦鵬が誰かも知らなかった」

しかし、張永寧はそれでもこの若者とは何か縁を感じていたのだ。

『藍宇』の撮影は感動的だった。胡軍と劉燁は心底、この仕事に打ち込んだ。張永寧は当時を懐かし気に語る。「当時、全てのスタッフが寝食を共にした。胡軍と劉燁だけが、その日の撮影が終わると大急ぎで家に帰った。彼らも普段撮影中以外の時間でも台本を読み込んでいた。彼らの演技は本当に素晴らしい、しかし私は彼らの表現に不満な部分もある。映画はクランクアップして、彼らはそれぞれ家に帰る。胡軍は妻の元へ。劉燁はガールフレンドの元へ。撮影が96日、彼らが役作りをしたのが96日。要するにセクシャリティーが違うという事だが。彼らは『藍宇』を精一杯演じたのだ」

 關錦鵬はとても温和な人だ。彼は常に現場の空気に気を使い、俳優を一番いい所までもっていく。『藍宇』を撮る事が出来て、そして二人の俳優を見つけだす事が出来て、彼も嬉しいのだろう。彼は張永寧にこう言った「胡軍と劉燁は素晴らしいよ」
劇中、二人が別れる場面で關錦鵬は涙を流した。劉燁が胡軍にこう言う場面「毎日自分に言い聞かせていた。あなたを愛し過ぎないように。自分が傷付くんだから・・・・」
この場面ではスタッフ全員が泣いていた。關錦鵬はカメラを止めなかった。


全ての撮影が終わった後の打ち上げで、劉燁は飲んで号泣したんだ「『藍宇』はまだ終わってない、終わってない」と。それを聞いた皆も辛かった。衣裳スタッフも、「本当に全部が終わってしまいそうで」と言って撮影に使った物を捨てる事が出来なかった。あれから随分たってしまった。皆で歌を歌ったんだ。劉燁と胡軍が『你怎麼捨得我難過』を歌った時は、嗚咽を堪えられなかった。

 

 あの輝いていた『藍宇』の日々も、もう過去の事。張永寧は今、新たな夢を描こうとしている。「『畫魂』が終わった後に新しい映画『白瞳』に取り組もうと思っている」これはノンフィクションの物語であるという。ある70歳の老人が医療事故で両目を失明する。しかし不屈の精神で中国で最初の民間慈善基金を設立し、僻地の失明児童の学校施設を援助するという話だ。この老人は既に亡くなっている。「一人の老人が自分の力で立つ、という事が人々を感動させる。また盲人の生活に勇気とプライドと自信を与えるものにしたい。社会の一員として彼らを理解していきたい」


張永寧曰く、『藍宇』はある純粋な愛の物語だが、『白瞳』はひとつの愛の言語である。

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