DoubleMintGum

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映画『密愛』

『密愛』(2002/韓国)監督/ビョン・ヨンジュ

2002年11月3日 渋谷シアターコクーン

第15回東京国際映画祭アジアの風部門

 

 あの『ナヌムの家』三部作のビョン・ヨンジュ監督の、初の劇映画だ。これはヨンジュ監督の映画だった。
 ヨンジュはかつて「見た人の人生を変えてしまうよな映画を撮っていきたい」と語っていた。

日本軍に従軍慰安婦にされたハルモニ達に、ただただ寄り添って、彼女達の声に耳をすませてきたヨンジュ監督にしか撮れない映画だった。
ハルモニ達を「可哀想な人たち」ではなく、ひとりの「人」として見つめて、わがままだったり嘘つきだったり、傲慢だったり臆病だったりする彼女達をじっと撮影し、彼女達が自分の言葉で「自分」を語り出すまで何もせず、ただそこにいるような。

『ナヌムの家』『ナヌムの家2』を見てきて「ああ、これは凄いな」と漠然と感じていたのだが、3作目の『息づかい』('99)では何かが変わった。
激しい心情吐露や慟哭の後に何がくるのか。従軍慰安婦という過去のせいで韓国社会からも存在を抹殺されてきたハルモニたちが、ゆるやかに変化していくのだ。
通常、思春期で経験するであろう「自身の成長」を始める瞬間。
抱えてきた「悲」が「生」へ・・・・それが動いて行く瞬間を見事に見せつけてくれた。その手腕(という言い方はあまり似つかわしくないが)をもってしてフィクションを撮るという。


 『密愛』の中で好きなシーン。
暴力をふるう夫から逃げ続ける峠の休憩所で働く女と、主人公の女が草影で寄り添うように座っているシーンだ。
お互いがお互いを「救う」事は出来ないし、しない。ただお互いの話を黙って聞いている。 そしてラストシーン。
あんなに強く輝いた終わり方をする映画があっただろうか。やっぱりヨンジュ監督の視点(生き方)は変わってはいなかった。
そして彼女自身も成長していたんだなー、と感動した。

ティーチインでは、ヨンジュを知らない人も多かったようだ。 ヨンジュの風貌を見て「アレ、男?女?」とうるさい連中もいた。
ビョン・ヨンジュはビョン・ヨンジュなんだよ。私が私であるように。

どの質問にもきっぱりスッキリ答えるヨンジュは最高だった!

 

司会 ビョン・ヨンジュさんは今まで『ナヌムの家』三部作でドキュメンタリーを作ってきましたが、今回の『密愛』が長篇の劇映画デビュー作になります。
(監督登場、続いてキム・ユンジン登場。通訳:根本理恵さん)

 

ビョン・ヨンジュ この映画を見て下さって本当にありがとうございます。韓国での公開は来週の末にスタートします。
一般の皆さんに見て頂くのはこの東京国際映画祭が初めてです。
韓国でもまだ公開されていません。そういった意味でも今日皆さんに見て頂いて嬉しく思います。

 

キム・ユンジン こんにちは、キム・ユンジンです。皆さんと御会い出来て光栄です。(以上、日本語にて挨拶)
東京国際映画祭に呼んで頂きましたのは三回目になります。三回も呼んでもらってとても嬉しいです。今後もまた呼んで頂けるように頑張っていきたいと思います。

 

Q 最近日本ではこのような大人の恋愛を描いた韓国映画が何本か公開されていますが、このようなジャンルの映画が韓国でも注目を浴びているんでしょうか?

 

ビョン・ヨンジュ テレビや映画などでこういった似たような素材、モチーフが選択されるというケースは時々あります。
誰もが本当に心から好む、最高のモチーフというわけではないけれど、不倫をテーマにしたものというのは去年あたり非常に流行しました。

 

Q 二人に一つづつお聞きします。
まず監督へ。ドキュメンタリーを撮っていて今回こういう題材を選んだのはどういう理由で?監督の方から企画を出したのか、または製作会社からオファーをされたのか。この題材のどこに惹かれて撮ろうと思ったのか、経緯を教えて下さい。
キム・ユンジンさんには、女性監督と組まれてみて、演出や仕事のやり方などで感じた事を教えて下さい。

 

ビョン・ヨンジュ まずふたつのきっかけがありました。これには実は原作の小説がありまして、それをだいぶ前に読んでいました。その時これを映画にしたらいいんじゃないか、と思いました。
もうひとつは、私は日本軍に従軍慰安婦とされた人々の映画を長い間作っていたんですが(『ナヌムの家』三部作)そのテーマそのものが政治的な意味合いを含んでいました。
従軍慰安婦というのは当時日本がした事で「良くない」事であり、そしてこういった映画を作る事は「正しい」事だと、誰もが支持してくれました。
それは過分にテーマそのものに正統性があったわけです。私はあまりにも周囲の人が「あなたは正しい」とか「あなたを支持する」という言葉をかけてくれたので、だんだんそれがプレッシャーになってきた所が、実はありました。
モチーフそのものがこういった題材(不倫)というのは、誰もが最初から支持出来ない、全面的に諸手をあげて「これはいい事だ」と思えない素材からスタートしてみれば、また何か新しいものを作れるのでは、という気持ちでこのテーマを選びました。

 

キム・ユンジン 私もシナリオをもらう前に原作小説を読んでいて、大変感動しました。
シナリオをもらってみたら私の役は、非常に暗い役、そして個人的に経験していない部分が多い役柄だったのでプレッシャーもありました。しかし、監督は私に自信を与えてくれました。
ビョン・ヨンジュは「女性監督」という枠を越えて、私にとって特別な監督という印象があります。
長い間ドキュメンタリーを撮っていた経験があるせいか、俳優たちとも非常に深くコミュニケーションをとっていく監督です。撮影の時には特にいつも私の力になってくれました。

 

Q 裸のシーンがいくつかありましたが、セクシャルなシーンではなく女優さんが一人で窓辺に立っているというシーン。
それから最後に苦しんでいるシーンがありました。
「惨めさから活気が生まれる」という科白でしたが、実際の韓国の女性の状況というのはどうなんでしょうか?現実的に女性が自立していくというのは大変な事なんでしょうか?

 

ビョン・ヨンジュ 今の韓国は18世紀ではないんで、そこまで女性が自立しにくいという事はないんですが、科白の中に取り入れた「活力は不幸から始まる」という言葉は私にとって座右の銘みたいなものですので、この主人公に科白として与えてみました。
この映画の中で「不倫」や「風俗」を描きたかったのではなく、平凡な女性の「情熱」を描きたいと思いました。
それがどんどん彼女を突き動かして、ひとつの冒険劇のようなもの・・・・世界をどういうふうに生きて行くのか、冒険していくように彼女は生きています。そいういった姿を描きたかったのです。
この映画に出て来るミフンという主人公が韓国人女性すべてを代表しているわけではないんですが、この映画を見た人達がミフンという女性を通して、世界に向かって突き進んでいくような女性の姿をかっこいい!イカシてる!というふうに見てくれれば嬉しいなと思います。
しかし彼女には様々な面があります。ちょっとすれっからしな所、ずる賢い所、そんな彼女の色々な顔を描いてみたいとも思いました。

 

キム・ユンジン 確かにミフンは代表的な韓国女性ではないんですが、彼女の夫は初恋の人で、自分のすべてでした。
その夫を失って行く事でその中から自分自身を取り戻していく、そういった姿を描いています。

 

Q 妻が夫に裏切られ、暴力もふるわれ、病気になってしまう。彼女も夫に対して同じ事をしました。最後の方でもう娘に会えない、写真も持って来ていないから娘の顔を忘れてしまうんじゃないか、という科白がありましたが、法律的にもう娘には会ってはいけないという事なんでしょうか?その状況を教えて下さい。

 

ビョン・ヨンジュ 決してそんな事はありません。韓国ではああいったケースでも後々娘に会う事は出来ます。主人公のミフンは自分の娘の顔を忘れる事はないと思います。
しかし彼女がそれ以前に属していた「家庭」という空間にあった品物が彼女には全くない。
そういった喪失感をあの科白に込めてみました。
それに娘はまだ小さい「女性」だから、母親として娘の心の傷の大きさを心配してああいった科白を言ったのです。
韓国はああいうケースでも刑務所に入れられるという事はありません。

 

Q 峠の休憩所の女性はあの後助かるのでしょうか?
もうひとつ、「バイタリティーは不幸から始まる」というラストの科白・・・・家庭を壊して、不倫相手も死んじゃって、それでいて主人公は前向きに歩いて行くと言う象徴的ラストだと思うんですが、それでいてどうして『ドナドナ』の歌が流れたのかを聞かせて下さい。

 

ビョン・ヨンジュ 休憩所の女性がどうなったのか・・・・私もあの場面までを撮影してソウルに戻って来てしまったので、彼女がどうなったかは判りません(場内笑)
『ドナドナ』は1970年代にヒットした歌ですが、作品に取り入れたのは反転の意味、相反するものをぶつけてみたかったんです。
ミフンという女性は今まで生きてきた人生を変えました。しかしその変え方が良かったか悪かったかは人によって見方が違うと思います。彼女自身はこれから世界に向かって前進して行こうと考えています。
彼女の生き方を「そんなものはダメだ」とか「もう終わってしまっている」という人もいるかもしれないが、彼女は自分の自由意思で道を選んだのです。
なので隠喩的に歌の内容と反する部分を狙いました。

 採録:LIN 無断転載、無断引用禁止です。