DoubleMintGum

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映画「ぼくの国パパの国」

『ぼくの国、パパの国』1999年・イギリス(原題・East   Is East)

  監督/ダミアン・オドネル 原作・脚本/アユーブ・カーン・ディン

       

       1971 年の在英国パキスタン・ファミリーのカルチャー・ギャップ、ジェネレーション・ギャップの物語・・と聞いて、まず浮かんだのが印度映画『DDLJシャー・ ルク・カーンのラブゲット大作戦』。恐ろしく厳格で威圧的な頑固親父を演じたのは、ド迫力のアムリーシュ・プリー。ロンドンでコンビニを経営しつつも、伝 統的な印度生活習慣は決して忘れない。もちろん、生まれも育ちもイギリス、の二人の娘にもそれを押し付けるし、印度人と結婚させるつもりだ。相手も親同士 で勝手に決めてある。家で洋楽を聴いてはしゃぐ娘たちも、父が帰宅するや否やテープをヒンドゥーの音楽に換えて、毎日気を使う・・『ぼくパパ』でも似たよ うなシーンが出て来る。パパのいぬ間にベーコンやソーセージを食べてる所。

   

        『ぼくパパ』での父親役は、やはり印度人俳優のオーム・プリー。(アムリーシュ・プリーとは赤の他人)こちらもかなり恐い。こんな父親いたら絶対嫌だ し、長男みたいに家出してやる。でも、ママの為に・・と何故か床屋の椅子(リクライニング・チェアとでも思ったか)をプレゼントしちゃう外し方はお茶目 だ。結局、周囲に取り残されるのが恐くて、威厳を振り回し空回りして、増々みんなに「うっとうしい」と思われてしまう、典型的な男性像である。

   

        印度映画の「お母さん」は決して枠からハミ出したりしないものだが、ここんちのママ(イギリス人)は強い。夫に向かって怒鳴ったり、殴られても二回目に はつっかかっていく。何せ労働者の端くれだからね。主婦をなめんなよ!家でも店でも一番働いてんのは私よ!という気迫が素晴らしい。相変わらずな「男映 画」の中で、このママの逞しさと長女のふてくされた態度は貴重だ。
        主人公カーン一家は夢のようなお金持ちではなく、英国移民労働者階級なのだ。普段の言葉使いも下品なら、家の中も汚い(9人家族だもんね)のが又リア ル。妻は精神的に自立してるし、子供たちの考えてる事は理解出来ないし、やっぱり寄って立つ所は「我々はパキスタン人である」という価値観でしかないパ パ。いと哀れ。それを象徴するかのようにグル・ダット監督の『十四夜の月』('60)が引用されている。イスラム教の人々を描いたこの作品は、お互い相手 の顔も知らずに結婚する事から起きる「悲劇」でもあるが、パパたち世代にとっては「美徳」なのだ。「たとえ夫が浮気しようと、妻は夫の下女なのです」なん て科白が出て来る作品なんだから。この『十四夜の月』を見ているパパが一緒に「Chaudhvin       ka chand・・」と歌い出してしまうあたり、哀れでもあり、愛おしくも感じますな。

    英国・パキスタンのカルチャー・ギャップだけでなく、印度・パキスタン間の未だに連綿と続く問題も、当然出て来る。家出してロンドンで帽子デザイナーに なっちゃった長男が、実はゲイだった・・というセクシュアリティーのギャップも。ここで特筆すべきは、私の「人生ベスト10」に入る傑作イギリス映画『マ イ・ビューティフル・ランドレット』('85)だ。ロンドンのパキスタン・コミュニティのゲイの物語である。何と『ぼくパパ』原作者がちょい役で出演して いる。気付かなかったよ。五男はアートに走り「女性差別を表現した」らしいヴァギナ(女性器)のオブジェを作ってしまう始末。このオブジェが見合いの席で 飛び交うシーンは、何とも胸のすく思いで、爆笑してしまった。
        脚本は、ほとんど原作者アユーブ氏の実体験に基づいていて、戯曲として'96からイギリスで舞台上演されている。1960~70年代の英国ポップ音楽 と、印度映画音楽を聴いて育った彼のセンスがそこかしこに滲み出ていて、ひと昔以上前「ロンドンに住みたい」とほざき、英国音楽にどっぷり浸かっていた小 娘(私・・)の心の琴線に触れてしまったのであった。ブルー・ミンク、ジミー・クリフ、ジョージー・フェイム(Sunnyだ!!!)、ザ・ホリーズ・・・ そして印度映画の永遠の歌姫ラター・マンゲーシュカル。在英国印度人コミュニティからバングラ・ビートの生まれる前の物語ではあるが、予兆はあったのだ なー。末っ子サジが着ているアーミー・ジャケットはモッズの定番ファッション・アイテム。モッズ・ジャケットとべスパのバイクと言えば『さらば青春の光』 ('79)だしなー。グラム、モッズ、パンクを一通り経験した方たちには、近年のイギリス映画BGMは涙ものでしょう。
        1992年に来日公演したビリー・ブラック(イギリスのミュージシャン。80年代の炭坑ストの支援でも有名)のインタビューで「日本では外国人はガイジ ンのままでしょ。色んな人種がいても、文化が共存してる社会ではないんじゃないかな。俺達はガキの頃からインドとかアフリカとかカリブから来た奴らと学校 で一緒だった。(略)外国の音楽を聴いてたんじゃなく、隣から聴こえてきた音楽ってわけだね。それがマルチ・カルチャー・ソサエティのルーツなんだよ」- 「MUSIC       MAGAZINE」92年8月号より-というのがある。
       『ぼくパパ』では、御近所イギリス人家庭の右翼思想入ってる親父の、その娘はカーン一家の三男とつきあってるわ、息子は「アッサラーム・アライクン(こん にちは)」ってスラっとウルドゥー語が出てしまうわで、そんな人物描写が憎いねっ。日本映画でこれと肩を並べられるのは、山本政志監督の『てなもんやコネ クション』('90)ぐらいだろう。
 血縁や家族の絆という「幻想」を全く持っていない私も、この「ベタつかない」感覚は素直に受け入れられる。異文化共生テーマをここまで楽しませてくれて、大満足。毒の盛り方も適量。(もうちょっと毒入っててもOKだったよ)