DoubleMintGum

I'm a Feminist,Shipper,Slasher and Fan girl.

Double your pleasure Double your fun,With Doublemint Doublemint gum.

「インド映画の奇跡 グル・ダットの全貌」

'01.3月3日ー3月11日 国際交流基金アジアセンター/アジア映画監督シリーズ9
      「インド映画の奇跡 グル・ダットの全貌」

昨年12月に行われた同センターの企画「合同アジア映画祭」の中でグル・ダット監督特集が組まれた。多くの印度映画ファンの間で語られて来た「グル・ダットの作品は凄いらしい」、その本物を見られるという事で、私も興奮したものだ。
    「グル・ダットの映画というのは、一般の印度映画と同じく歌舞音曲もあり、芸術映画の側面 もあり、娯楽性と作家性の両方を兼ね備えている。ここ数年で印度映画ファンになった人なら見ておいた方が良いでしょう」というアドバイスもあり、通いつめました。

  グル・ダットは1951年に『賭け』で監督デビュー。それ以前はコレオグラファーや助監督を務める。1953年にプレイバック・シンガーのギーター・ ラーイと結婚。1957年までに7本の映画を作り、監督兼俳優兼製作者として活動しこの年代表作『渇き』でワヒーダー・ラフマーンを主演させる。以後、ワヒーダーは彼のミューズ(女神)になる。もうひとつの代表作であり、 1959年の彼の半自伝的作品『紙の花』は、自分の人生を予言したような物語になってしまった。妻がありながら、ワヒーダーに魅かれてしまったのが原因と も言われているが、スキャンダルの中、1964年に自殺。

  昨年、そして今回を通して感じたのは「印度の映画」という枠を越えた映像感覚を持っていたという点。(これは物語全般を通して言える)今の方が彼の作品を受け入れる土壌があるのではないかな。
個人的にはワヒーダーを見るのが至福の時。最近の映画『Lamhe』('89監督/ヤシュ・チョプラ,主演/アニル・カプール,シュリーデーヴィー)での「お母さん」役しか知らなかった為、若かりし美しいお姿には打ちのめされた。

-上映作品-
      『賭け』1951年(原題『Baazi』)監督/グル・ダット 
      グル・ダット監督デビュー作。(冒頭に一瞬だけカメオ出演している)ジョニー・ウォーカーも、正に得意の「酔っぱらい」の役で少し登場するが、まだ重要な位       置にはいない。
       同時代の日活や東映の無国籍アクション映画を彷佛とさせる。

      


      『網』1952年(原題『Jaal』)監督/グル・ダット
       ゴアの漁村を舞台に繰り広げる「信じる者は救われる」物語。ここでも本人、カメオ出演。主演女優のギーター・バーリーがどうしてもウルミラー・マートンドカルに見えてしまったよ。似てない?

      

『鷹』1953年(原題『Baaz』)監督・主演/グル・ダット
      16世紀が舞台の「時代もの」、尚かつ海洋大活劇、というグル・ダット作品にしてはかなり毛色の変わった 一本。(印度映画自体でも、海洋ものは珍しいと思う)
       この作品あたりから、ジョニー・ウォーカーのキャラクター性が強く出てきている。

      



『表か裏か』
1954年(原題『AarPaar』)監督・主演/グル・ダット
      「旦那、気を付けて」の曲が印象深く、お気に入りになってしまった。
        カーチェイスあり、銃撃戦あり(今見ると、なんかほのぼのしてて笑っちゃうんだが)で、コメディ系。主人公二人の一目惚れシーンでの、歌への入り方など 絶妙である。カールー(グル・ダット)の弟分、イライチー(ジャグディープ)は、あ、『炎』('75/原題『Sholay』アミターブ・パッチャン主演) に出ていた人だ!と今さらながら発見。グル・ダット作品の常連組でもある、トゥントゥン&ジョニー・ウォーカーのお笑いコンビの顔を見ただけで 「何かやってくれるんとちゃうか!」という期待で笑える。因に、現在のヒンディー映画に出て来る有名コメディアン、ジョニー・リーヴァル(真四角の顔、 ギョロ目・・この人が出ただけでワクワクしてしまう)の、 その芸名のルーツはやはり、ジョニー・ウォーカーだ。彼の名をもじった後輩コメディアンは数多い。

『55年夫妻』1955年(原題『Mr.&Mrs.55』)監督・主演/グル・ダット
       こちらもコメディ系作品。現在のヒンディー映画を見ていても頻繁に裁判シーンが出て来るが、この映画や『紙の花』にも出て来る。'55年5月ヒンドゥー婚姻法が可決されて、申し立てによる離婚裁判が認可されるようになったという。これがタイトルの鍵にもなっている。
       歌のシーンの背景に、路上で撮影風景を遠巻きに見ている野次馬たち、それを制する警官、なんていう素の光景が入ってしまっていて、とても微笑ましくていいなー。現在の作品でも屋外ロケ・シーンではよく見る光景なんだが、皆のんびりしている。

      


『渇き』
1957年(原題『Pyaasa』)製作・監督・主演/グル・ダット
        昨年の上映の時は、字幕にがっかりさせられた。訳があまり良くない、その上タイミングずれまくりで、興醒め。(しかし、ワヒーダー登場シーンには息を呑 む)今回の上映では、字幕も新しく起こしたらしい。今だからこそ、目新しさは感じないテーマかもしれないが(金の為ではなく、自分の理想を追い求める貧し い詩人と娼婦の物語)、当時としては画期的だったのでは・・と忍ばせる。

      

『紙の花』1959年(原題『KaagazKePhool』)製作・監督・主演/グル・ダット
       私のグル・ダット作品ナンバル1。初めてワヒーダー・ラフマーンを見た時の衝撃は凄く、比類なき美しさに引き込まれた。こんな瞳をした女優、今いないよ。「ノン・フィクションか?!」というような内容もまた切ない。
      ラージ・カプールの『MeraNaamJoker』もそうだが、 この「自伝的大作」も興行成績は失敗。ラストでの、ボロボロになった手編みのベストを着ているグル・ダットの背中は、泣かずには見られん。ヨーロッパの映画を見ているかのような品格、画面       に重厚さが有る。  
      『渇き』よりこっちの方が好きなんです。

       

『十四夜の月』1960年(原題『ChaudhvinKaChand』)製作・主演/グル・ダット
      監督/M.サーディク
      『ぼくの国パパの国』を見ていて、突然この歌のシーンが登場した時は嬉しかった。しかもカラー版である。今回の上映でも、最後にオマケとしてカラー版歌シーンをビデオで上映してくれた。まさにワヒーダーがいなければ成り立たない作品であ る。印度では女性の美しさを月に例えるのだが「暗黒の雲のなかからのぞく月のようだ」という科白も、「十四夜の満月(イスラム暦の満月)か、それとも太陽 か。どちらにしても君の美しさには比べられない」と歌われるのも、説得力があるというもの。
       19世紀末から20世紀初頭が時代背景らしく、印度におけるイスラム文化の中心地を描いている。イスラムの習慣、建築などの様式が随所に見受けられて、映像も楽しい。ストーリー展開は、結末が悲劇になってしまうのだが・・。

      

『旦那様と奥様と召し使い』1962年(原題『Sahb,BibiAurGhulam』)
      製作・主演/グル・ダット 監督/アブラール・アルヴィー
       伝説のミーナクマーリーを拝めただけでも恩の字。ワヒーダーは脇役なのだが、勝ち気な娘の役は合っている。奥様役は、やはりミーナクマーリーで正解でしょう。退廃的で色っぽいです。うっとり。この年のフィルム・フェア・アワードの作品賞、監督賞を受賞。

      

グル・ダットを探して』1989年(原題『InSearchOfGuruDutt』)
      製作・監督/ナスリーン・ムンニー・カビール
       イギリスのTV局で製作されたドキュメンタリー作品。グル・ダット関係者へのインタビュー映像満載。


   

    '01.3月3日 国際交流基金フォーラム
    「ワヒーダー・ラフマーン/トークショー」
    解説/松岡環
    ※開始して30分程たってから駆け付けた為、トークの全てを聞けなかった。また聞き取りにも不十分な点があるが、御了承の程。

   

Q:『渇き』を撮っている時に難しかったこととは?

   

A:私がとても内気だったので、グル・ダットはそれを見抜き、自然に演技が出来るようにとの配慮から、冒頭の娼婦が誘惑する歌のシーン「私は何をきいたのかしら」から撮影しました。私は古典舞踊をやっていたから、歌にあわせて自分を表現した方がやり易かったのです。

   

Q:『紙の花』で、「女優」という自分自身の職業を演じたわけですが、その時の心情は?

   

A:とても面白い経験だった。象徴的なのは、女優として注目を集めだした主人公が場違いなパーティー
    で、厚化粧をし髪にパーマをかけ、派手な格好をしていると監督に「なんてひどい姿だ。その髪も、
    化粧も。君の真の美しさは飾らない姿であり、私はそこが素晴らしいと思っているのに。今の君は猿のようだ」というような事を言われ、怒られる。私自身も主 人公のように質素なものを好むタイプであり、映画の中で色々な人間を演じるだけで、猿マネはいらない。作りすぎることはない、と判りました。

   

Q:そのシーンは『紙の花』の中でも大変印象的なシーン。監督に怒られ、次の日彼女 は髪を洗い、パーマをおとし、元の姿になる。洗い髪のまま、オープンカーに乗り髪を風になびかせるシーン、また冒頭の雨の中での二人の出会いのシーン、ス タジオに迷い込みカメラの前に立ってしまうシーン・・・どれもワヒーダーさんの素顔の美しさを際立たせていました。グル・ダットもあなたのそういった美し さを追求したかったのではないか?

   

A:撮影を手掛けたカメラマンの努力のたまもの。質素な姿での美しさを引き出してくれたのです。

   

Q:『十四夜の月』はイスラム教の話。ワヒーダーさん自身もイスラム教だが、やり易かったですか?

   

A:そうです。私たちが常日頃口にする言葉で「ハエラ!」という言葉があり、これはウルドゥー語
    「OhMyGod!」のような意味。映画の中で何度も「ハエラ!」が出て来る。私にとって自然な事で、演じていて嬉しかった。映画のヒットと共にこの言葉 が、当時の流行語になってしまった。パーティーなどに出席すると色んな人から「ワヒーダーさん、ハエラと言って下さい」と声をかけられてしまい、こんな所 で何故?と腹を立てていました。

   

Q:この映画は全編白黒ですが、歌のシーンだけカラーで撮影したのはどういうわけか?(上映したプリントは歌のシーンも白黒)

   

A:映画全体は元々白黒で撮影した。ヒットしたので歌のシーンだけをカラーで撮りなおし、差し換えた。それで更に話題になったのです。
    (※『ぼくの国パパの国』の劇中でこのカラー場面を見る事が出来る)

   

Q:『旦那様と奥様と召し使い』はカルカッタで撮影した作品ですね?
A:ベンガル語の小説が原作です。私は最 初、ミーナクマリーが演じている奥様の役をやりたかったのですが、グル・ダットは「若すぎる」と言って却下した。私が役者として未熟だと言われたのかと思 い、食い下がりました。彼は、この役は成熟した大人の女で、夫の愛情を得られぬことや家庭内の関係に悩む、それをやるにはまだ君は若すぎると言ったので す。ではその次に重要な役であるジャバをやりたいと言いました。そんなNo.2のような役をやっていいのか?と言われましたが、私は構いませんでした。ま た彼は、私が奥様の役に向かないもうひとつの理由として、夫の気を引く為に酒に溺れてアル中になってしまう役は当時の私にはまだ早いと思ったようです。

   

Q:ジョニー・ウォーカーさんはどんな方だったのでしょうか?

   

A:今回来日する事をとても楽しみにしていましたが、体調を崩してしまい、医者から 長旅は控えるようにと言われてしまったのです。日本の気候がとても寒いというのもあって、残念ながら来日は中止になりました。私は彼と長いつきあいです が、とてもいい人です。 彼は当時、俳優になりたくて、そのチャンスを掴む為に酔っぱらいのふりをしてスタジオの周囲をうろついていました。そして、いつ も警備員に追い払われていたのです。ある日、グル・ダットが車を出すとその前に彼が飛び出してきました。グル・ダットは酔っぱらいだと思い「どけ!」と怒 りました。すると彼は突然普通     に戻り「すみませんでした。私は酔っぱらいではありません、ただ役が欲しいだけなんです」と言いました。それが目に止まったキッカケです。「本当に酔っぱ らいにしか見えなかった」と、グル・ダットは大変驚き、かれに洋酒のブランド名「ジョニー・ウォーカー」と名付けたのです。    

   
   

    '01.3月4日「ワヒーダー・ラフマーン/トーク&サイン会」
    ※こちらも途中からの入場で、ほとんどの部分を聞き逃してしまった!

   

Q:グル・ダットは、ハリウッドや他の国の映画監督について何か言っていましたか?

   

A:はい、特に覚えているのは「日本の黒澤明監督の『羅生門』は素晴らしい」ということです。そして私たちにも、もっと外国の映画を見るように・・黒澤作品は特に・・と言っていました。

   

Q:ワヒーダーさんの現在の生活について教えて下さい。

   

A:1989年以降は映画の仕事から遠ざかり、家で夫や子供たちと静かに暮らしています。もし、お話があれば、また映画の仕事をしたいと思っています。(会場からは大きな拍手!)

 

←ワヒーダーさんのサイン。

  ジョニー・ウォーカー氏の来日が中止になったので、この日もワヒーダーさんのトークになり、なんと後半はサイン会として時間を裂いてくれた。会場の半数以 上の人が参加。もちろん私も。近くで見るワヒーダーさんは、綺麗なお婆さんだった。美しく歳を重ねた上品な人で思わずウットリ。今後このようなチャンスは 二度とない・・と、声をかけたかったが緊張してしまい「ありがとうございました」しか言えなかった。