DoubleMintGum

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すべて無関係ではない

先月Netflixで『청년경찰』を見た。

で、あらためてこの記事も読んだ。

⬇︎

70万人の朝鮮族がすべてチャン・チェンではないのに…映画ではなぜそうなるのだろう

 

朝鮮族は日帝強占期に中国に移住した韓民族を表す言葉である。韓国政府はこれらを韓国系中国人だと規定している。
韓国に滞在している朝鮮族はおよそ70万人。

先日朝鮮族が多く居住しているソウル大林洞に行ってきた。映画『청년경찰』のロケ地である大林洞は、映画の中の描写とは全く違った。

劇中の大林洞は警察も手がつけられない無法地帯、犯罪の巣窟として描写されるが、実際の大林洞は漢字の看板が多く、たまに中国語が聞こえるという点を除いては、我々の町と大きな差はなかった。タ方に行ってかなり暗い時間だったが、子供たちは自転車に乗り、大人たちは繁華街である12番出口周辺を歩いていた。友達と夕飯を食べに入った食堂では、寒いから入ってお待ちと親切に声をかけてくれる朝鮮族のおばさんもいた。いったい何がこの街をそれほど恐ろしい場所だと描写させるのだろうか。


韓国映画で、朝鮮族はほとんど否定的に描かれる。
最近公開された『범죄도시』『청년경찰』『황해』『신세계』など朝鮮族アクションノワールというジャンルがあるほど朝鮮族が犯罪者として出てくる映画が流行している。この映画の問題点は単純に悪役を演じたキャラクターが朝鮮族だというだけではない。朝鮮族の個々人を悪党に描くことを超えて、朝鮮族自体を否定的に描写している。
映画の中では、朝鮮族が多く居住している加里峰洞や大林洞は常に喧嘩、殺人、人肉、臓器売買などを業とする朝鮮族らの犯罪組織が大部分だとされている。
また、映画の中の朝鮮族は殺人行為を罪悪感もなく犯しかねない殺人鬼として登場する場合が多い。
『범죄도시』のチャン・チェン(ユンゲサン)、『황해』のミョン社長(キムユンソク)とグナム(ハジョンウ)、『신세계』に登場する延辺の乞食たちがこれに該当する。

朝鮮族を貧しく不遇に描いたケースも多い。映画で多くの朝鮮族は劣悪な環境で生活しており同情の対象になることもある。
미씽:사라진 여자』では主人公ハンメ(コンヒョジン)は、中国からの結婚移住女性として朝鮮族としての差別を受け、生活苦に悩まされる。
『황해』では自宅マンション前にいるハジョンウに「朝鮮族か、朝鮮族。こんな寒いとこにいないで。寝る所がなければサウナに行け」と金を渡すクァクドウォンの姿が出てくる。
このような場面は、朝鮮族が我々より貧しく後進的な存在という偏見を作り出す。


映画の中の朝鮮族の悪者たちの姿は、朝鮮族全体に対する偏見を助長し人々の嫌悪感を深化させる。
朝鮮族犯罪映画の観覧評価では、朝鮮族に対する嫌悪をあからさまにした書き込みがあふれている。その中で朝鮮族と実際に会って交流してみた人が何人いるのか?
映画の中の姿だけを見て、朝鮮族は悪党確定なってしまったわけだ。もちろん実際に映画のような犯罪が朝鮮族によって行われた事実もある。
しかし、これら数人を韓国で生活している70万人の朝鮮族同胞と同一視することは大変間違ったアクセスである。

2016年警察庁の統計資料によると、朝鮮族の犯罪率は外国人の中でも平均水準でありむしろ内国人犯罪率が外国人犯罪率の二倍に達している。
私たちはただ取捨選択された媒体の内容を見て、彼らに対する差別と嫌悪を育てて行った。実際に放送や映画のような文化芸術領域は影響力が大きく、一度製作されれば今後反復的に消費されやすいだけに、偏見と敵対が強化される可能性も大きい。

映画製作自体を非難したり、禁止することはできない。自由民主主義社会で「表現の自由」とは無視できない重要な価値である。映画製作者たちが誰を悪役に選定するかどうかは彼らの自由だ。
彼らが朝鮮族を悪役に選定したのには違う理由もあるだろう。
作品の完成度や興行のための一つの劇的装置でもある。しかし、観客にとって映画は世の中を見る窓、継続してこのような映画が製作されることは、韓国社会で少数者の立場にある朝鮮族に対する差別と偏見を助長する可能性がある。
映画が朝鮮族への嫌悪を加速し続けるこの問題を解決する最もいい方法は、自主規制ではないかと思う。
言論関連法は成文化された法条項だけでなく、メディア倫理も含む概念だ。大衆に世の中を見る枠組みを提供するメディア産業従事者らはそれに相応しい責任と倫理意識を持っていなければならない。
映画が追求する表現の自由によって誰かの名誉が穀損されていれば、彼らの傷を包摂する誠意ある謝罪が先行しなければならないだろう。
朝鮮族を映画的なモチーフとして活用したければ、まず彼らの生活に入って交流し理解しなければならないのだ。
朝鮮族がメディアのせいで被害を受けているにもかかわらず、これについて考えてみなければ、「映画は映画だ」「映画的装置だ」という言葉はただの抜け殻に過ぎないだろう。

※素人の意訳ですが全ての翻訳文章の無断転載禁止、及び引用元を明記せずに無断引用する事もおやめ下さい。当ブログ記事へのリンクは自由です。

star.ohmynews.com

記事内で挙げられている映画は全部見てきたものだ。
当時はそんなこと、これっぽっちも考えずただ楽しんでたなー。恥ずかしい…

で、『청년경찰』自体はダメだった。ノットフォーミーすぎる作品でもあったし、エンタメだからオッケー!という風に見れないんですよ。もう。
そんな無神経な楽しみ方をしていいはずがないんですよ、日本人が。
なんつーか、もう無責任に韓国映画好きなんでーす!とか言えないなぁ。
⬇︎ここにも書いたとおり。

過去見てきたいくつかの韓国映画を、そういう意味では単純に楽しんだり出来なくなったなー。
どんなに「エンタメとして」上手く作られたものだとしても、日本の加害の歴史が大きく関わる内容の作品を「あー面白かった。感動したー。泣いたー。萌えたー」と無邪気に無責任に消費していいものかと。自戒の念をこめて問い続けなければ。
それを不自由だとか考えすぎだとかは思わないので、俺の人生が終わるまで(もうあんまり長くはないとはいえ)ずっと考え続けて悩み続けるのです。
正解もなければ終わりもないが、自分のことを一番信用していないので、また誰かを何かを踏みにじるよりはいいです。

朝鮮族が、 なぜ中国にいるのか。
日本が作り上げた傀儡国「満州」へ移民させられてそこに置き去りにされた朝鮮人だって知ってました?

韓国内における中国朝鮮族蔑視。しかもそうなった原因が大日本帝国の植民地支配。
日本人は肝に銘じておくべき。