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조승우色々 2

ミュージカル大作『オペラ座の怪人』オーディションの現場

⬇︎過去のツイートより。

2001年7月。オーディション会場。出演者は震えていても審査委員らは余裕満々だ。

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81年、英国ロンドン。
ミュージカル『キャッツ』のオーディションは無名のソプラノ歌手サラ・ブライトマンを発掘、スターダムに向かう最初の階段に導いた。そして彼女は86年『オペラ座の怪人』のヒロイン、クリスティーヌになってミュージカルの「伝説」を誕生させた。

2001年ソウル、ヨクサムドン。
「100億ウォンのミュージカル」『オペラ座の怪人(The Phantom of the Opera)』の韓国公演(12月1日からLGアートセンター)出演者を選ぶオーディションには第二のサラ・ブライトマンを夢見る若者たちの情熱が結集した。
7月6日から8日まで行われたオーディションでは530人が競合した。
ファントムとクリスティーヌなど、男女主人公を含めて10の配役を決めるオーディションは競争率53分の1。
ミュージカルのトップスター、ナム・ギョンジュや『明成皇后』のイ・テウォンなど有名俳優たちも相次いで訪れた。意外にもミュージカル俳優より、クラシックを専攻した声楽家たちの参加が多く300人を超えた。
モーツァルト『魔笛』などオペラのウ・スンキ(芸術総合学校音楽院)もその一人。
彼は「先輩世代では声楽専攻者がミュージカルに目を向ければ非難を浴びている時代だったが、今は完全に変わった」と言う。メトロポリタンオペラハウスの歌手がミュージカルに出演する米国のようにクロスオーバーの波が押し寄せているようだった。
注目すべきは今回のオーディションではスターたちも新人たちと同様に最初から審査される点。
演出家アーサー・マセルラとアンソニー・イングリス音楽監督などブロードウェイスタッフ4人が飛んで来て、審査席に座った。
7月6日昼12時30分には応募者待機室がざわめいた。
「ギョンジュ兄さん…!」と誰かが言った。
ナム・ギョンジュは「オーディションを受けるのは5年ぶり」とやや固い表情だった。
オーディション参加者たちは2曲以上の準備をしてきたが、先を急ぐ審査委員らは躊躇なく「サンキュー」とその歌を途中で止めた。
あるスタッフは「この世で一番悲しいサンキューだ」と冗談を言った。
早ければ2分以内に「サンキュー」と判定される。
一方、少しでも可能性があるとみれば十分な時間を持って食い下がっているブロードウェイ的スタイルだ。
イム・グォンテク監督作品『春香伝』の夢龍役、조승우がそんな扱いを受けた。
조승우の歌を聞いていたイングリス音楽監督は、自ら練習伴奏のピアノを弾き「そんなに重く声を抜くのではなく、一人の女性に心を捧げるように、愛の歌で呼んでみて!」と注文した。

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From 朝鮮日報

 

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人生には、選択の瞬間があるじゃないですか。
ぱっと全てがひっくり返る、小さな変化が起こるそのような選択の瞬間です。何もない僕の人生が逆転したある選択の話です。

ミュージカル『オペラ座の怪人』のオーディション途中で、映画『フー・アー・ユー?』のキャスティングのオファーが入ってきたことがありました。
周囲は「ミュージカルは映画を撮ってからもできそうだ」と説得するけど、ミュージカルを諦める事ができなかったんです。
『オペラ座の怪人』側でも「ラウル役に心を決めておきなさい」というような言葉をたまわり、3次オーディションを終えて最終のオーディションを待っていました。
ところが、1ヶ月半が過ぎても連絡が来ないのです。海外スタッフたちが最終オーディション審査に来るはずが、ずっと連絡がなかったんです。
映画会社の方からは「私たちも待っている。映画に決めて欲しい」と。事実、メジャー映画会社で、共演女優はイ・ナヨン氏がキャスティングされており、断る理由がない所を1ヶ月半以上「待ってほしい」と言っていたので。
ようやく『オペラ座の怪人』最終オーディションを受ける事ができました。ところがセリフ、歌、動きなどをやらせながら、40分以上放置されたんです。製作会社からは心の準備をしなさいと言われたが「どうも採用する意思がないようだな」と思いました。
僕は途中でオーディションを切りあげました。
「僕はやれるだけやり、待つだけ待ったが、これでは無理なようです」と飛び出しました。その時パク・カーリン先生が家まで説得に来て下さった。事実、その時まだ映画会社に「映画に出演する」という連絡もしていなくて、ばたばたしていました。
二日後にミュージカル製作会社から「あなたのご苦労に感謝いたしますが、惜しくも不合格です」というメールを受け取りました。

「ああ、これが運命だね、オーケー」
すぐに『フー・アー・ユー?』と契約をしました。「待っていてくれてありがとうございます、本当に一生懸命やります」そうしたらミュージカル製作会社からまた連絡が来ました。今度入った新入社員が間違えて不合格の通知メールを送ったのだと。

「すみませんが、映画出演契約しました」と答えました。
これが全部人生の瞬間で選択です。
その時僕が『フー・アー・ユー?』に出演しなかったら、リュ・スンボム、パク・ヘイル氏と忠武路の新人三人組と呼ばれ、注目されることはなかったんです。

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