DoubleMintGum

I'm a Feminist,Shipper,Slasher and Fan girl.

Double your pleasure Double your fun,With Doublemint Doublemint gum.

ミュージカルの中の女性たち

ミュージカルの中の女性たち The Musical No.187

3月9日、大学路の芸術家の家で国際女性デーを記念して「The Musical」主催の特別講座が開かれた。劇作家兼公演コラムニストのイ・スジン講師による講義は「パンとバラとミュージカル」というタイトルで、演劇界が舞台内外の性平等を実現するために進むべき方向をテーマに構成された。
ミュージカルの中の男女キャラクターの差異を見ながら、これまで受動的であり、道具化された存在として描かれてきた女性キャラクターを批判する内容で行われた。


主張のない女たち
講義開始に先立ち、イ・スジン講師が投げかけた質問はこうだ。
「ミュージカルの女性主人公は果たして主体的な人生を生きているのか。自分だけの夢や目的を持ち、それを実現しているのか」
この質問を基に人物の多様な性格を把握するとともに作品を分析することができる。
まず『オペラ座の怪人』と『ジキル&ハイド』を見てみよう。
『オペラ座の怪人』のエリックは自己愛に溢れている。また、オペラ劇場を完璧にコントロールできるほど膨大な能力を持っており、いつも燕尾服を着ているほど確固とした趣向を持っている。
じゃあ女性主人公クリスティーヌは?
結論から言えば、彼女にはなんの趣向もない。さらには彼女が本当に愛する人が誰なのかはっきり分からない。そのため話が進んでも、クリスティーヌの行動は合点がいかない。
『ジキル&ハイド』でもジキルは実験に没頭する品位ある紳士で、もう一つの自我ハイドは、悪党だがファーコートを好んで着る高級な趣向を持った人物として描かれている。
この作品でも当たり前のように女性の好みは扱われていない。
ジキルを愛するエマとルーシーは、愛する人の前で「純粋な」女で、二人の唯一の違いは身分だ。
特にルーシーは私娼街で体を売るショーガールだが心だけは純粋な女に描かれ、ジキルをさらに引き立たせるために登場する人物といえる。
ルーシーが歌う新たな人生は具体的には現われず、結局はハイドによって死を迎えるだけだ。
 
彼女たちは本当に主人公だったのだろうか
最近、国内ミュージカル界では女性を主人公にする流れが高まっている。
『アンナ・カレーニナ』『レッドブック』そして『マリー・キュリー』などがその代表的な作品だ。
しかし、これらの作品が持つ問題点もある。
『アンナ・カレーニナ』は不倫を犯したことで死を迎える勧善懲悪のように平面的に描かれている。時代的背景で表現できる女性に対する社会的な抑圧も描かれない。
作品でむしろ目立っている人物はアンナの夫であるカレーニンだ。彼は作品中、様々な感情を見せている。不倫に陥ったアンナを憎悪したが、彼女を愛し自分の行動を反省する面もある。カレーニンのほかにも『アンナ・カレーニナ』のすべての男性キャラクターは確固とした趣向と複合的な感情をむき出しにして質問を投げかけるようになる。


マリー・キュリーは、ノーベル賞を二度受賞した代表的な女性科学者である。
しかし『マリー・キュリー』でマリーは舞台の中央より隅に設けられた実験室に頻繁に登場する。ノーベル賞を受ける時にマリーが舞台中央に立つが、この時も彼女は一人でスポットライトを浴びない。
なぜなら夫ピエールと一緒だからだ。
この作品でもマリーの感情の代わりにピエールの多様な内面が明らかになっている。
彼は科学的、人文学的素養と家庭と育児をすべて担当する多情多感な人物として登場するが、1幕で死を迎えるも引き続き舞台に登場しながら話を進めていく。さらに、ラジウム被害者に感情移入を行っているのも彼だ。
一方、マリーは実験に向けた意志をさらけ出したまま、他人の苦痛に対しては耳を閉じる。マリーが当時、移民者であり、女性科学者故に経験したであろう差別は一つも表現されていない。
さらに、彼女はラジウム被害者の苦痛は知っているが、謝罪はしないと被害者に対する共感さえも見せてくれない。
このような部分はマリーが実験だけに集中したソシオパスのように見える。つまり、前述した作品は女性を主人公として掲げたが、結局性格や趣向、価値観で動く女性ではなく、プロットに合わせただけだ。
このような点で見ると『レッドブック』は他の作品より一段階進んだ女性描写が見られる。
主人公はこう語っている。
「私は他の人間になりたい」そしてここに具体的な一言を追加している。
「私はいやらしい話を書きたい!」と。
したがって、観客は少なくとも主人公が「何」をしたいのかが分かる。
これまでミュージカルの中の女性はほとんど一つの単語で説明が可能だった。しかし、先に言及した作品のいたるところに残念な部分が多いにも関わらず、我々が注目すべき点はこれだ。
『マリー・キュリー』のマリーには「実験しか知らない女」という説明が加わった。官能小説を書く『レッドブック』の主人公が、女らしくない行動を実行する女性の領域を開拓したという点では、肯定的な意味と見ることが出来る。


女性の物語が進むべき方向
それなら、ミュージカルの女性たちは今後どう進むべきか。
イ・スジン講師は、男性キャラクターと同様に女性キャラクターに多様な性格を与えなければならないと話した。
そしてこのような悩みを通じて、女性の物語が発展できるという希望的な意見を示した。
女性キャラクターに統合した動機や好みなどが与えられたら、十分な女性の物語が完成されるだろう。
イ・スジン講師はこのような言葉を伝え最後を結んだ。
「韓国の演劇、ミュージカル界は男性中心に動いているだけに、まだ道のりは遠い。しかし、女性の物語は遠くにあるものではない。男性ができる事を女性もできるし、女性もまた、複合的なストーリーを持つことが出来る。もちろん、いかなる作品も完璧ではない。一部分が残念でも良い部分があれば、これを基により良い作品が誕生すると見ている」

※素人の意訳ですが、全ての翻訳文章の無断転載及び無断引用禁止です。

www.themusical.co.kr⬆︎出席者の方々の写真があるけど、フェミニストって背中にかいてある服を着ている人がいて、かっこいい!その服どこで買えますか!!ってなった。