良かったー良かったよー。素晴らしい映画と出会ってしまったー。ブログに書こう… pic.twitter.com/iv3BX8C3WR
— LIN 욘욘슨 (@linlinsz81) 2019年4月24日
というわけで(ネタバレ含む)感想を書きます。
『Woman At War』邦題・たちあがる女
邦題はそう酷くはない、サフラジェット*1みたいに「名もなき花」にしなかっただけで。
まず映画の舞台となるアイスランドが、男女平等10年連続第一位という認識程度しか持っていなかったわしなので、セリフが今まで聞いたことがないような言語…でもなんかスウェーデン語にもちょっと響きが似ている気がするーと思ってしまった。アイスランド語だった。
www.nhk.or.jpもう冒頭からして日本版ビジュアルを覆すようなシーンから始まるので超ワクワクしてしまうのだが、音楽!音楽!!!!!!劇伴が!!!!!
そう、これはまさにミュージカル映画と言っても過言ではないよ。
最近だと『パディントン』シリーズなんかでもやってるけど、劇伴奏者がここまで演出にドラマに食い込んでくるとはー。最高だ。
ピアノ(アコーディオン)、パーカッション、スザーフォンのスリーピースなんだけど、こ、こ、これはクレズマーじゃないか!と感涙。映画始まって20秒で泣いた。
正確にはクレズマーとは言い難いのかもしれないけど、バルカン半島から流れ着いたイディッシュ文化の匂いを含んだその音楽に、もう絶対これは私の映画だ!と確信した。
しかも途中からこのスリーピースバンドに三人のウクライナ女声合唱まで加わって腰が抜けた。座ってみてたから大丈夫だったけど。
惜しむらくはこのウクライナ民謡の歌詞が分からなかった事。
インド映画(主にボリウッドしか見てこなかったんで比較対象がそれしかないけど)でも歌詞の内容がその時の登場人物の心情を語り、表現しているので、今このシーンでこれが流れるって事はちゃんと意味があるはず。歌詞の内容を知りたいなー字幕出たらいいのになーと思ったんだけど、まああくまで劇伴であるという事なのかな。
主人公の女性が活動家として、環境破壊を続ける政府、企業への抗議行動をたった一人でやっているところがいい。どこの団体にも属さず(属せず?)一人で「破壊行動」を実践している。国家権力側はこれを「テロ行為」と呼ぶ。
デモやストライキなどをするとまわりに迷惑がかかる、と言う人もいるが、いやいやいや「迷惑をかけるために」やっているんだよ。
日常生活に支障をきたして初めて気付くのだろう?そこに「問題」があるって。
主人公ハットラが四年前に申請した養子縁組がやっと通ってウクライナの少女と暮らせることになる。この少女が紛争による孤児。嬉しい反面、今の自分の活動方針を変えなければならぬ事に悩む。ここさー、四年前と今とでは状況が変わった、と言って悩んでるんだけど、ハットラは四年前にはまだ抗議行動を始めていなかったって事かな?
映画では描かれていないが、彼女が一人でもやらなければ!と奮い立った転機が四年前に起こったのだろうな。
完全に孤独な戦いではなく、実は政府官僚側にハットラの味方がいる。
しかし彼とて所詮権力側の人間。消極的にしか協力はしないし(内部の情報を流し、彼女にこれ以上は危険だと忠告する)保身のために手を引く。
逃亡の道中で知り合った農夫も(多分彼にも家族はいない)、そして双子の姉も最後「そうきたか!」という方法でハットラを助けてくれる。
面会のシーンでもしかして入れ替わるの?ってなんとなく分かったんだけどね…双子設定の伏線がここで回収された。
インドで瞑想するのも刑務所で瞑想するのも同じ、出所したらお互い支え合っていこう、というセリフが心に刺さりました。
かなり緊張感のある内容なんだけど、前述の劇伴演出がこの映画をより深みのある、ちょっとファンタジー風味すら感じる作品に仕上げていてそれが好きだ。
ハットラは多分私と同世代なのでは?と思ってパンフを見たら主演の俳優さんわしと同い年じゃーーーん、やったー嬉しい!
ロールモデルっていうか、やっぱり50代の女性が活躍するストーリーってあんまないじゃん。この年代ってもうみんな孫がいて仕事もしてなくて、とか。それがいい悪いじゃなく、50代の女性が一人で生活して働いていて、特にヘテロの恋愛描写もなく(これ大事)物語の主人公になるというのが嬉しかったんだよねー。
パンフにこの映画はジョディ・フォスター監督・主演でハリウッドリメイクが決定しました、って書いてあった。
あーーなるほどなるほど、分かる。しかしハリウッド版はどうなっちゃうんだろう。この独特の空気感はなくなるんだろうなあ。
もちろんジョディ・フォスター主演版も見るけど。
いい映画だった。私の映画だった。
⬆︎他国のメインビジュアルは大体この送電線を切断したりドローンを射落すハットラをメインに使っている。
余談。
⬇︎昨日、映画に行く前にツイッターのTLを見ていたら大阪・釜ヶ崎で国家権力による市民への暴力的排除が起こった。すぐにでも駆けつけたい気持ちだったが、タイムラインを眺める事しか出来ない自分の無力感たるや…
私たちには、時に「不法」とされてでも譲れない一線がある。しかし国や行政が法を犯していい理由などない。そして国や行政が現に法を犯しているのに私たちを「不法」だとして裁く権利などない。暴力的に手足をつかまれ、蹴られ、引きずり出され、荷物を奪われ、寝場所を奪われてもいい理由などない。
— 釜ヶ崎 センター開放通信 (@OpenKamaCenter) 2019年4月24日
天皇の「代替わり」予定日のちょうど1週間前に起こった天皇制の暴力として記憶します。https://t.co/QWm9RkHEds
— 死 (@tsuraiDeth_shi) 2019年4月24日
「国」「府」「労働局」 pic.twitter.com/k6UPttrU4Q
— xj4r (@_rxj4_ex) 2019年4月24日
そんな気持ちを引きずりながら見にいったので、余計に「全ては繋がっている。全部地続きだ」と強く思った。