DoubleMintGum

I'm a Feminist,Shipper,Slasher and Fan girl.

Double your pleasure Double your fun,With Doublemint Doublemint gum.

『불한당:나쁜 눔들의 세상』

『불한당:나쁜 눔들의 세상』

f:id:linlinsz81:20190501002421p:plain
f:id:linlinsz81:20190501002422p:plain
見て来たよ。去年から気になっていた映画。
韓国ペンが最後の晩餐とミレーのオフィーリアとアダムの創造を各場面と比較してたけど、あれはっきりそうだと分かって良かった。
あの廊下のナイフシーンの光と影よ!あそこ良かった…

王道の恋愛映画だった。愛を知らない、人を信じる事が出来ない人間が、愛を知るその過程で見せる変化、高揚感。
海辺での花火、二人で迎える夜明け、このまま時間が止まればいいのに…というあの瞬間とかもうそういうのがさー、上手かったよね。
二次創作なら二人で全てぶっ壊して新しい別の地平へ行こう!みたいなやつかきたくなるやつだよね…うん、なる。
この映画はSlashの文脈で見るという、そういうYAOI的な下地がある人間には相当グっとくるのではないだろうか。
韓国では興行成績は振るわなかったそうだが、不汗党員という熱狂的ペンの存在は知っていたのでやっとその意味が分かった。
この映画を見てそのまま恋愛の物語であると受け取る事が出来るかどうかで全く面白さの意味が変わるんじゃないかな。どう受け取ろうと自由だけど、でも「これはそういう映画じゃなくて」と言いたくなる人よりは、やおい好きBL好きに愛されてそれを真摯に受け止めてる監督とか俳優さんも含めて、良い作品だと思った。
ノットフォーミーでもなく、かといって私の映画でもなかったけど好きな映画ではあった。 

ビョンガプがジェホに再三、お前らデキてるのかと言ってもそうじゃないだの気持ち悪いだのという(ありがちな)差別的表現とか否定をしなくて、もうそれだけでも引っかからず、安心して物語の世界に入っていく事が出来たので、それって大事だなと。
引っかかって許容出来ない部分を引きずったまま、そこだけ目を瞑って我慢して鑑賞する事を強いられてきた身としては…本当にもう違うから。
エレベーターのシーンとか、荒れまくるヒョンスを殴り倒して落ち着かせるシーンとか、とにかくエロティックな表現をここまでしっかり入れるのか。 

昨日あらためて『불한당』のパンフ読んで、とても腹が立った。

以下盛大にネタバレ。
例のツイッターでネタバレかました葉真中顕って人の寄稿文の中にあるこの一文…「一応断っておくが私はストレートの男性である」

はあ?

この人は元のツイートも「不汗党はBLじゃなくて(笑」という蔑視垂れ流しでそのうえネタバレまで織り交ぜてきたので、あ、息するようにナチュラルに差別する系のヘテロ男性だなって分かっていたんだけど。
今は元ツイートも削除して訂正再掲しているがこういう人が大体「BLとかホ◯(←差別用語なので使わないよ)じゃなくてこれは普遍的な愛」とか寝ボケた蔑視を振りまくの俺知ってる。
そもそもイム・シワンの魅力を語るのに「あ、俺そっち系じゃないですよ。笑」っていうの本当にクソofクソだからな。

初見で私は「ビョンガプはガチガチのホモソーシャル内で男として劣っていると歪められてきた奴」だと思った。
しかし昨日ビョンガプとジェホの関係性と俳優さんがどういう意図を持ってビョンガプを演じたか、それを知って一気にジェホ×ビョンガプに心が揺れてしまった。
そうか、そういう事だったのか…

私がちょっと、ん?ってなったのが出所したヒョンスがビョンガプに「そっちの趣味はない」って言うとこなんだけど、キム・ヒウォンさんがビョンガプをそういう意図で演じていたと知り、あの時ビョンガプが激昂して大泣きしていたのは、みんなの前で叔父さんにこっぴどく殴られた事よりもヒョンスの差別発言に対してだったのかもしれない…とかね。
ヤクザの世界のあのクソみたいなホモソーシャルの圧力の中では周りと同じようにクソヘテロを演じ続けてきたビョンガプの怒りだったのかな、と。
話逸れるけど『スリー・ビルボード』でサム・ロックウェルが演じた警官ディクソンもあのホモソーシャルで自分が差別されないために徹底的に差別と暴力を振り回す「クローゼット」だったみたいに。

それにしても不汗党のパンフレットでよくこんな事書けたよなー。呆れる。

 

『불한당』についてこの数日間ずっと考えていた事。
この不汗党員についての記事。

www.ilemonde.com
冒頭で「この文章は、昨年と今年行われたすべての映画授賞式で呼ばれた “名前を持った”観客の話だ」という素晴らしい一文がある。
不汗党の酷い邦題が『名もなき野良犬の輪舞』で、最初これを知った時に真っ先に思い出したのが『サフラジェット』の邦題。
酷い邦題で、しかも下の方に「”名もなき花”の真実に基づく物語」ってやつ。
また名前を奪いやがった!って思ったわ。
名もなき花にしたり、名もなき野良犬にしたり、一体なんなの。
不汗党を配給しているツインは、作品を正確に評価して宣伝する気が全くないんだな。
酷いタイトルをつけるだけじゃなくてパンフレットにこんな酷い文章を書く人間を選んだ事からも、よく分かる。

映画の観客はいつも数値の中で潰されていた。
興行が成功するかどうかを知るための頭数を数えている間、観客は測定の対象に転落し、彼らの個別性はそれほど重要に考える必要がないものと見なされた。
映画の興行成績を観客が握っているかのように大騒ぎしながらも、観客の好みが劇場から奪われる事をこっそり隠しておいたり、映画自体より何十万、数百万、あるいは千数百万という数字の陰に隠れまったく観客の心を無視する。
それは観客たちが今まであまりにも長い間「されてきた」行為だった。
不汗党員が直球を放ったところは、まさにここだった。
観客が明確な違いを発見した映画。
劇場から消えた映画、再び蘇らなければならない映画。
不汗党員はこのすべてを実現させ、映画の版図を動かす観客のあり方を自ら証明した。


これだよねー。名前のある「私たち」がいるというのを知らしめたんだよねー。

※素人の意訳ですが全ての翻訳文章の無断転載禁止です。