DoubleMintGum

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日々の呟き 4

映画『太陽がほしい』

映画の中で、元日本軍兵士であった日本人男性が当時の加害行為を告白した後、性奴隷制被害者である中国人女性に現金を渡そうとする場面がある。
生活に困っているであろう被害女性に対して現金(封筒に入った状態だったが多分それはまとまった金額の現金であろう)を手渡そうとするも、女性は受け取りを拒否する。
「あなたが勇気をもって自身の行った加害事実を、公の場で告白してくれたことに感謝する」だがその現金は受け取れない、と。とても穏やかな表情できっぱりと拒否した。
日本人男性は、自分の娘は中国に留学している妻は在日中国人を支援する活動をしている、それが自分たちのせめてもの罪滅ぼしなのだと言い、中国人女性はそれを黙って聞いていた。

また別の場面で、性奴隷制被害者の中国人女性宅を日本の支援団体の人々が訪れた。
その中の日本人男性が、日本の男性を代表してあなたに謝罪しますと涙を流しながら言った。
被害女性はほぼ寝たきりであったが、布団の中から「あなたが謝るのではなく責任者(戦犯。日本政府や天皇)が謝罪に来てほしかった」と言った。

映画は性奴隷制被害者の女性たちを何年にも渡って取材したドキュメンタリー作品で、今までこういった作品は何度も見てきたし文献も読んできたけれども、だからといって「慣れて」しまうものじゃない。
何度見ても聞いても「日本が中国で何をしてきたか」という事実は恐ろしく、おぞましくて私は見ていると被害者にシンクロしてしまうのでいつも軽く貧血状態になる。
座って見てるから倒れはしないけど、ちょっとフラフラしながら見ている。
映画見終わったあともしばらくロビーに座って、落ち着いてから帰るようにしている。


毎回あまり自分の言葉や考えを整理できないので、模索中の状態でこうして日記に書いているんだけど…書くことで自分への記録や伝言になるし、この先自分の間違いに気付くようにもなるだろうし。
「被害女性とシンクロ」することと同時に、今回上記ふたつの場面でものすごくひっかかったんだ。それは私が過去社会運動に多少なりとも関わってきた中で感じたものと近いかも。
私は涙もろいので怒りや悲しみに近付くとすぐに泣いてしまうんだ。映画を見ていてもだいたい泣いてる。
泣くことで妙なカタルシスを感じて、まるでそこで全てが終わったかのような無責任な状態に居るんじゃないか?と気付いた。
「日本人を代表して謝罪します」「せめてもの罪滅ぼし」これを被害者に向けて放っていなかったかな、私は。

「連帯」とは?

連帯するってなんだろう?という事をずっとずっと考えている。
たとえば韓国や中国の女性たちと「連帯」する。男尊女卑、女性蔑視、同じ被害者として連帯が出来るのではないかとは確かに思うけど。
日本人の大多数が持つ朝鮮人、中国人蔑視に対して「好きです○○」やフリーハグで「カウンター」する。
それって根本的な解決にはならないんだよね。

⬇︎以前の話でここにも書いたけど、

あなたがいるから日本が好きだ、そう言われるようになりましょう。(なりたい)」
という言葉ってかなり酷いと思うんだ。
そういう自己満足のために、そう言われたいために利用するな。
私は自分のマイノリティの部分にそういう気持ちで近付いてくるマジョリティが大嫌いだ。
自分には○○(←お好みのマイノリティを当てはめてみよう)の友達、知り合いがいる。いわゆる「I have a black friends」として使われたくない。だから信用する人間にしかカミングアウトしないクローゼットマイノリティです。
自分もそれを公の場で無意識にやっていないか、という事をいつも振り返らねば。
差別をされたくない、のではなくて「差別をしたくない」のなら。