DoubleMintGum

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映画「魅惑」

『魅惑』1992年/イラン(原題・DELSHODEGAN) 監督/アリ・ハタミ  
イランの歴史に詳しくはない。
パーレビ王朝の崩壊、1979年のイラン革命後は華美な風俗文化禁止!っていうのが「中国の文革みたいやなー」という程度。
最近イラン映画が紹介される機会も多いが、そこでまた一つの価値観が植え付けられているような・・。
「イランはねー、宗教上及び政治的制約があって、 女性が走るシーンも御法度だし、子供を主人公にすることによってしか社会を描けないわけよ」
ふーん、なる程。でも私の見たイラン映画って、そのどれにもあてはまらないぞ?          
20世紀初頭のカジャール王朝が舞台。
なので、この映画は長らくイランでは封印されていた。'98以降の規制緩和によって、やっと日の目を見たのだが、 監督は'96に亡くなっている。自分の作品が日本で上映される事になろうとは、夢にも思っていなかったであろう。合掌。

映画の冒頭で写し出されるのは、民俗楽器セタールの制作過程。
瓢箪型に木をくり抜き、丁寧に削り、磨き、皮を張り、弦を張り、ひとつの楽器が作られてい く。
(後日見たモフセン・マフマルバフの『サイレンス』に登場するのも、セタールを調律する盲目の少年である)セタールはペルシャから中国へ渡り、沖縄経由で日本の三味線になった。音色の原形を留めているのは沖縄の三線(さんしん。蛇皮線と言ってはなりませぬ )までといった感じである。この手の弦楽器は中央アジア(新彊ウイグル周辺)には多い。トンブルやカオムツ、ドタル、イエワプなど楽器のルーツを見て行くだけでもアジアの歴史が見えて面白い。

時の王、アフマッド・シャーは考える「この美しい音楽を永遠に閉じ込めておくことは出来ないのだろうか」
王の為に、イランの音楽を録音する(レコードにする)作業が始まる。それぞれの楽器の名手達を探し集め、外国(パリ)で録音をするのだが・・・・。
映像がとにかく美しい。構図が絵画的。それまで見ていたイラン映画が、やたら眠くて色彩 に乏しいという印象だったのだが、これは音と色の洪水。華美な建築、装飾が画面に溢れている。青・・コバルト・ブルーにターコイズ・ブルー、太陽の金色、 花の色、細部に徹底的にこだわったイスラムの文様。
一瞬の場面にも、隅々まで細密画のような描き込み。映像のシュールさに、画面に酔うのが精一杯でストーリーはあまり追えなかった。

演奏家達はそれぞれ医者やコックといった職業を持っているのだが、音楽家という職業が「外れた」ものだという世間の目があったからだろう、音楽の才能を持ちながらも他の職業で生きていかねばならない、という人物背景の描き方。その点ではこの映画は「芸道もの」でもあるのだ。
そして音楽の甘美なことといったら!タンブール(パーカッション)演奏家であるコックの男のエピソードが心に残る。リズムにとりつかれた人間の心象が幻想的に描かれていて、シチュエーション描写がまたやけにシュールである。そして科白が詩であり、歌だ。古い詩の引用も多いのだろうが、語る言葉が歌になる瞬間があり感動した。歌の「こぶし」が心地 良い。イスラムの歌といえばカッワーリー、インドのガザルもそうだけど、声が自由自在で、天地を踊るようなこぶしにうっとり。       

絵画のようなこの映画は、一枚の絵が暗示するシーンで終わる。パリからイランへ帰る途中の船が沈没し(第一次世界大戦の事らしい)音を記録したレコードが海に流されている・・王は音楽に囲まれた生活を夢見ていたが、消えていく一瞬こそが本当の音楽だったのかもしれない。海に沈んだ楽士たちやレコードは今どこにいるのだろうか。
音と映像の「魅惑」を堪能した。