2019/10/19
滞在最終日。
帰るだけなので荷物をスーツケースに詰め直して、いらない物は捨てて、なんだかんだバタバタしてるうちに朝になっちゃう。
しかしMacBookとiPadと一眼レフと交換レンズ4本(内一本は大口径望遠レンズ)なので機内持ち込み手荷物のほうが預けるスーツケースより何倍も重いんだわ。
最後の朝飯 pic.twitter.com/5oWycjqmzH
— 𝕃𝕀ℕ 린 (@linlinsz81) 2019年10月18日
一泊3000円以内にしたい派なので、結局いつも同じ宿。
去年からずっと泊まっているからか、もうパスポート見せたり予約番号を伝えなくても顔見ただけで「ああ」と部屋の鍵を渡してくれるようになった。
今回部屋に窓があって明るいのがかつてないほどに最高でした。
ソウル駅でアーリーチェックイン。空港で昼飯。
「ソウル大学博物館には1300点余りの湿板写真が所属されており、主に1900〜1930年代に撮影されたものである。これら湿板写真の大半を占めているのは朝鮮、満州モンゴル地域の民俗を撮影したもので1930〜40年の間に日本人学者であり民間伝承者である秋葉隆と赤松智城が組んで撮影した事が明らかになった pic.twitter.com/TgwNVyb3XG
— 𝕃𝕀ℕ 린 (@linlinsz81) 2019年10月19日
⬇︎搭乗までの間、読書コーナーでふと手に取った写真集。
こういうの日帝時代の記録があるのでは?とページをめくっていたら、興味ある内容だった。
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『彼らの視線で見た近代』
「ソウル大学博物館には1300点余りの湿板写真が所属されており、主に1900〜1930年代に撮影されたものである。これら湿板写真の大半を占めているのは朝鮮、満州モンゴル地域の民俗を撮影したもので1930〜40年の間に日本人学者であり民間伝承者である秋葉隆と赤松智城が組んで撮影した事が明らかになった。
この湿板写真は日本人学者によって撮影されたもので、不足している日帝時代の状況を知る貴重な資料であることを否定する事は出来ない。
特に学術調査の過程で撮影された写真という性質上、比較的客観的な資料としての価値を持つと考える事が出来る。
しかし、写真に収められた様子が果たして客観的に当時を再現しているかという問題は、再度考察する必要がある」巻末あとがきより
日本人学者と農楽隊の記念写真。
景福宮。
平壌。
このように日本人学者は神聖視されていたシャーマンの衣装や器物を身につけて撮影する事が出来た。日本人家族。
独立門。タプコル公園。
64歳のムーダン。
吉林省郊外の龍王廟。
日本人学者たちが満洲地域を調査した当時、軍部の積極的な協力を受けた、という事実を写真で確認することができる。吉林省。
写真の中の日本人学者と満洲族の間には大きな違いがある。正面を向き堂々とポーズをとる日本人達と、知らぬ間に被写体になっていた人物との間には「支配、被支配」という身分が明確に示されている。黒竜江省
満洲族のシャーマン。奉天(現在の瀋陽)
神に生贄をささげる場面、日本人学者の姿が見える。
黒竜江省チチハル。
日本人学者たちは満洲地域の宗教、特に少数民族のシャーマニズムとイスラム教を中心に調査した。
「彼らの視線」とは何か、写真集をめくるうちに分かってくる。搾取し支配する者の視線だ。
文化人類学、民俗学のフィールドワークがよくやらかす典型的な「視線」ではあるが、それは現在の自分の在り方とどう違うのか、またはどう同じなのかを考えながら読んで(見て)たらあっという間に搭乗時間になっちゃったよ。