無関心なんですよ、みなさん。
今日チラシが送られてきた。
— 𝕃𝕀ℕ (@samedidimanche7) 2020年11月28日
明日かーー。仕事なので…。 pic.twitter.com/xTOaWBq3Zx
日頃韓国文化や映画、芸能アイドルには強い関心を示しても、いざ自分の生活に一番近いところにある「在日」「朝鮮学校」というワードには見事なまでの無関心。
面白いくらいにスルーそして無視。
いや全然面白くもないんですけどね。
さすがBLMに対して「日本には人種差別がないからピンとこない」と言えるだけある。
「ミヤシタパーク」とか言っちゃって、もうみんな忘れてしまうんだな。NIKEが宮下公園からマイノリティを排除した事を。https://t.co/oFEXmIOAMb
— 𝕃𝕀ℕ (@samedidimanche7) 2020年11月30日
だからと言って、例のNIKEのCMを見て素晴らしいなどとはこれっぽっちも思わないんですよ。だってNIKEがマイノリティ排除をした事実をしっかり覚えているからね。
ツイッターでいくつかRTしたので、引用させてもらいます。
スポーツ用品を買えるうちは「ナイキのお客さん」です。だからナイキはマジョリティもマイノリティも分け隔てなく応援します。しかし人生の中で何か思いがけないトラブルに巻き込まれ、野宿生活者になるとします。すると、ナイキは公園から出ていけ、というのです。→ https://t.co/XBFP6DLIas
— Eleanor Rigby (@Grave_Eleanor) 2020年11月28日
人種差別の本質は、恣意的な線を引いて「あの人たちは自分たちとは別の存在だ」と決めつけることろから始まります。レイシャリゼーション、人種化といいます。野宿者もやはり「私たちとは別の存在だ」と決めつけられ、公共空間から排除されているのです。→
— Eleanor Rigby (@Grave_Eleanor) 2020年11月28日
マイノリティの人々があのCMを観て心を動かされるのは当然だと思います。それほどよくできています。それにも関わらず、ナイキは宮下公園を私有化し、野宿者の排除を行ったのです。野宿者の中にはかつてナイキの商品を買ったマイノリティも含まれていたかもしれません。それでも追い出したのです。→
— Eleanor Rigby (@Grave_Eleanor) 2020年11月28日
ナイキは自分たちに都合の悪いことは覆い隠し(宮下公園は反対運動が起きなければナイキパークみたいな名前になるはずでした)、あたかも自分たちが公正な企業であるかのようにふるまっています。あのCMで、マイノリティはイメージ向上の道具として、いいように使われたのです。→
— Eleanor Rigby (@Grave_Eleanor) 2020年11月28日
企業のCM制作は、支援でも教育でもありません。CMの発信と野宿者追い出しを同時に行うということは、「守られるべき人権と粗末にしていい人権がある」という誤ったメッセージを発信する結果となってしまいます。
— Eleanor Rigby (@Grave_Eleanor) 2020年11月28日
以上のことが、私には賞賛に値するとは、とうてい思えません。醜悪だと感じます。
ダイバーシティ広告とかやれるのがそれなりの規模の企業しかない中「誰かがこういうメッセージを発する必要はある」っていうと、ディズニーが呪いをかける時と呪いを解く時の二回儲けるみたいな「搾取・排除と応援のマッチポンプ」の大資本による独占状態を許すことなんだよね
— 南条 (@sunset2943) 2020年11月29日
同じ事を市井のいち個人が、言葉で運動で文学で芸術でいくら訴えても、大資本が打つ広告一発の訴求力に絶対に届かないのは、自然の摂理なんかじゃなくて、そういう社会をみんなで維持しているからで、「選挙で代表を送り出して変えてもらうしかない」とかと同じ「力」の論理
— 南条 (@sunset2943) 2020年11月29日