DoubleMintGum

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ZODWIG 3

誰でもない조승우の「ヘドウィグ」The Musical No.129

2014年6月号
조승우は本当に言葉を選ぶ俳優だ。質問の要旨をよく理解して適切な答えを出してくれる。彼が言葉を選ぶのは深く考えているからだ。
「ヘドウィグ」というテーマで決して短くないインタビューだったが、彼はどのような質問にもつまることなく自分の考えを話した。それだけ「ヘドウィグ」に陥っていた時間が長かったからであろう。
2005年、조승우シンドロームが真っ盛りのとき、「ヘドウィグ」を選択して新鮮な衝撃を与えた彼の今回4度目となる「ヘドウィグ」だが、今回もまた以前とは異なる「ヘドウィグ」を表現した。
10年の時が経ち、再び出会った조승우のヘドウィグは挑発的だったし、もっと人間的だった。

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 ー2005年は『ジキル&ハイド』がチケットオープン直後すぐに完売するなど、조승우シンドロームという言葉が生まれた時だった。次の作品をみんな期待していたが、選んだ作品は『ヘドウィグ』だった。関係者たちは意外な選択だと思ったが、本人はこの作品を選択する際に迷いはなかったのか?

それはあった。当時は今よりさらに固定観念が強くて生真面目な面があって、最初は断った。トランスジェンダーが何かも知らなかったし。
いくら考えてもこのキャラには到達できないだろうと思った。しかし、音楽が好きになった。ロックが何かも分からない時だった。カート・コバーンが誰なのか、ニルバーナが何なのかも知らなかった。
ロック音楽は強烈な音楽だと思ったのに「Wicked Little Town」や「The Origin of Love」を聞くと、とても魅力的だった。若い時にやらなければいつやるのか、と。何だか分からないけれどやりたくなった。

ーこれは本人にも意味のある作品の一つとなった。

初演メンバーが集まって、すごく力を入れた。演出のイ・ジナ先生とスタッフ、俳優たちがいっしょに会議をして僕たちのやり方で台本を作った。
『ヘドウィグ』初のナビゲーションが作られた。それだけ特別な公演だった。イ・ジナ先生は、独特な舞台をたくさん作った方だから果敢にスピーディーに編集してくれた。
バンドは俳優たちにロック音楽を叩き込もうとして、僕たちは歌詞と台詞を覚えるため忙しかった。初演の時はぎくしゃくした舞台だったけど。

ー2013年の『ヘドウィグ』は以前の公演と違っていた。今年の公演は更にまた違っていた。

俳優に任せている面が大きな公演と違うかな。この作品がミュージカル形式ではないから。米国でも全部違うと言っていた。女優がヘドウィグを演じた事もあるが、今までで一番落ち着いたヘドウィグだったという。
イ・ジナ先生が俳優たちにほとんど任せてくれた。10周年で最後の公演でもあり、これまで『ヘドウィグ』をやりながら感じたこと、表現していないことをヘドウィグ自身が望むままにやろうと。最終的には色々指摘してくれたが、むしろ楽だった。

ーファンが多い作品なので、変化を敏感に受け取る人々も多いようだが。

僕の公演はいつも議論の的になっていたので、あまりにも違ったのではないかと。
ジョン・キャメロン・ミッチェルが初演の前に「この台本は絶対的なものではなく、私たちも自由に公演している。韓国公演もくれぐれも状況に合わせて君たちのやり方でやってもらいたい。私たちはそれに期待する」と言ってくれた。

ー俳優ごとに自分の色が現われる舞台だが、조승우の『ヘドウィグ』はその性格が強い。セリフをその都度作り出す能力も驚くべきものだ。

才能はない。僕が言いたい事を言うだけ。どうせヘドウィグを完全に理解することはできない。ただ歌うだけ。
ソン・スンウォンがこう話してくれた。「正解はない。今君が抱えているのが答えだよ。ヘドウィグを理解しようとしたら、それが君にとっての最善の形なんだよ」
ジョン・キャメロン・ミッチェルが生きてきて自分が経験して感じた感覚、イメージを土台に作ったもの。毛の束のようなウィッグをかぶって登場し、観客の前でトークしながら始まった舞台だ。実際に『ヘドウィグ』のドキュメンタリーを見ると、居酒屋で公演をしていて周りの客は誰も見ていなかった。それを劇化させたのが『ヘドウィグ』だ。

ー조승우の『ヘドウィグ』は他の誰の作品よりパーソナリティが大きく反映されて、俳優個人を感じさせる。

最初からこれはミュージカルじゃないと思った。小さな劇場でミュージシャンが出てきてコンサートをやっている。金光石コンサートの実況を見たけど、MCが楽しかった。『ヘドウィグ』の公演もまさにああだったらいいなと思った。
元々そうなんだから無理に演劇のように作らず自然に行こうと決めた。照明や舞台効果、演技的な状況設定、アクションとリアクションの動機ときっかけもそんなに必要ない。昨年はそういう性格が一番強かったが、完全にそうはしなかった。今年もトミーのエピソード以降は完全にミュージカルのようにやった。
起点を分けようとするなら自分も知らないうちにトミーの話が出てくる所からコンサートは終わって、後半はミュージカルのように進行した。
「Exquisite Corpse」の時は歌を切って母とルーサーの声を入れた。無意識のうちに思いが走馬灯のように通り過ぎる場面。回想シーンだと言われるけど、僕は回想ではないと思ってる。誰にも言えない痛みや寂しさが出てくるのを表現したかった。トミーの心のこもった一言ですべてのものが整理され、ヘドウィグは閉ざされていた門を開き進んで行く。

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ー今回の公演は「The Origin of Love」に集約されていた。私の半分を探してそれを通じて傷を克服する過程が鮮明になっていたという気がした。観客の一人としての感想ではあるが、もしかしてそれを念頭に置いたのだろうか。

今回のバージョンでは関係ごとに思い出を伝えたかった。
以前は母親の表現がなかなか難しかった。韓国情緒的には、母親は不憫ですべての人生を犠牲にするような存在じゃないか。今回は母の寂しさを強調した。いつもそうじゃないのに、ある日何の感情もなしに子供を引き離しているような母親、ある時は寂しさのために関係がぎこちなくなった母を表現してみた。母の名前を使いながらヘドウィグの人生が始まる。そんな風に母を一方の軸にしてみた。
ルーサーも悪い奴ではない。肉体的な快楽のために出会ったとしてもその瞬間だけは本当にヘドウィグが好きで、結婚して連れて行きたいだけだったから真の悪人ではないと思っている。
『ヘドウィグ』に悪人は登場しない。
「The Origin of Love」はこの作品の最大の軸である。「You Light Up My Life」をテーマ曲のように使用する。観客に伝えるメッセージがあるなら「結局誰が誰を愛するかの問題だ。自分を愛せなければ他の誰も愛せない。世界の中心はあなたで、あなたが主人公だ」ということ。

ーヘドウィグは男でも女でもない。しかし、社会は境界にある人物を認めず、どちらかに属することを強要する。彼の傷はそれから始まっている。

だから自然に出たセリフが「人は私の正体が何かと聞くけど、なぜそんなに私を知ろうとするんだろう。私にも分からないのに。誰か知っていたら私に教えてくれる?」だった。
『ヘドウィグ』は自分のアイデンティティを見つけるという作品ではない。ヘドウィグのアイデンティティは、間違いなく女性で、悩みの過程は終わった状態。手術を受けたがわずか1インチが残って、それが誰かを愛する足枷になる。トミーともそのために別れてしまう。「私を愛しているのなら、これまで愛してくれなくちゃ」と言いながら号泣する場面があるが、それを全部外してしまった。数多くの感情が交差し、自分もそんな結末を予想したから。

ー『ヘドウィグ』を見ながら演劇『Beyond Binary』の事を思い出した。インドの性的少数者ヒジュラたちのドキュメンタリー劇だ。「世の中には男と女以外にも、女みたいな男、男みたいな女、自らを男として考える女、その反対の男、男を愛する女のような男、女を愛する男のような女、男でも女でもない性も存在する」どのように男と女だけを区分できるかどうかを問う。ヘドウィグは男でも女でもなくただヘドウィグに過ぎない。

それで一人芝居のような形で表現するようになったという。初演や2007年公演の頃も文化的にも情緒的にもトランスジェンダーの人生を誰も理解していなかった。今も同じだろうけど。韓国社会ではそんな人たちへの関心があまりにも少ない。その時も作品が難しいから言うとおりにしたが、今はただ誰かを愛する一人の人間に近づいている。僕も同性愛者の愛を知らないから、大きな範囲で人と人の愛だと理解している。そんな風に広い観点で見る事ができるようになった。

ーヘドウィグを敢えて女性みたいに演技していない。

初演時にはとても「女らしく」やろうとした。分からないから、そうしなければならないと思っていた。

ー真っ黄色なウィッグと華やかな化粧はヘドウィグがどちらか一方に属す事を強要するようで、その濃い化粧とウィッグはどこか悲しく見える。

「Wig in a Box」を歌う時寂しげに映し出されるウィッグを見たのかも。ヘドウィグをここへ連れて来てくれたウィッグだ。ただ単に男と女のアイデンティティを象徴したのではない。それで「Midnight Radio」を歌う前にウィッグの話をするようになった。
映画『キャストアウェイ』でトム・ハンクスがバレーボールをウィリーと呼ぶ。ヘドウィグにとってウィッグはそんな存在だと思う。
『ヘドウィグ』は自虐コメディだ。自虐で笑いを与える。だからどこか悲しくなるのだろう。

ー今回の公演ではヘドウィグのイツハクに対する態度の変化が最も大きい。イツハクが鏡を見たりウィッグに関心を持つ場面が消えた。ルーサーがヘドウィグにしたように、ヘドウィグもイツハクのアイデンティティを抑圧する暴力的なシーンが弱い。

最初からない。以前の公演はイツハクを無視して暴力的に抑圧し、最後にウィッグを与えて感動を伝える。『ヘドウィグ』を26歳で始めて今35歳になった。10年が過ぎてそんな風にイツハクに対する態度が変わったように感じられた。そしてそんな演技自体をしたくなかった。
ロックボーカル二人が舞台に立つことを主なコンセプトにした。だから2人の関係は友情で行けたらと思った。ヘドウィグの性的アイデンティティは自ら選択したものかもしれないが、幼い頃性的な虐待や特別な経験でそのような指向が生まれた可能性もある。ヘドウィグのそれが環境によって外的に生まれたのだとしたら、イツハクはもともとそのような指向を持った青年だ。単純にヘドウィグと苦痛を共有しながら慰めてくれる人物だと考えた。ヘドウィグはイツハクを愛してはいない。
これまでイツハクにルーサーや母の話をしたけれど最後の「Exquisite Corpse」でトミーの話を語る時イツハクもそのビハインドストーリーを初めて聞いた。

ー昨年はカーテンコールまで合わせれば3時間を超えていた。公演の間でずっぱりだが、体力的に大変じゃないのか。

この作品は体力的には負担ではない。2007年までは枠にとらわれていために僕自身が自由ではなかったから、精神的にとても大変だった。
今は今日の公演がどうなるか僕にも分からない。
メーキャップに一時間かかるが、以前は歌詞を忘れていないか確認して必死だった。最近はそんなことしない。ラフにこのような内容にすると台本を設定しておいたが、その台本自体を書いていない。一種のキューシートのような、スタッフたちのための台本があるだけだ。
昨年の公演がなぜ長くなったかというと映画の内容を混ぜて、説明できない部分を話していたから。2014年の『ヘドウィグ』とは確かに異なる。そして1ヶ月後にはまた塗り替えられる。枠組みがないから。それを期待してるわけだし、その中に盛り込まれている宝石のような感情を見つけることが僕の手にある喜びだ。それを一人で探すのではなく、観客と交感しながら探している。答えが必要なゲームじゃないから。

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 ー조승우は練習に厳格で徹底しているという話が出回っている。真剣な練習の虫でも有名だが、最近はもう少し余裕ができたのかと。

まだ余裕はない。ところで僕は練習の虫ではない。ただ他の人より早くリハーサル室に行くだけ。そこで練習を繰り返したりしない。ただひたすら考えている。練習室に行くと独特の空気があるので、その中にいると作品に出てくる行動を感じるはずだから。自由なトレーニングの雰囲気が好きだ。
演出が僕の考えを信じて認めてくれて、それをできる機会を与えてくれる時、練習効果が最大限発揮出来る。リハーサル室でキャラクターに対して色んな想像をしながら多くの時間を費やしている。

ーミュージカルだけでなく、映画やドラマで一緒に参加した俳優たちが、조승우という俳優について最も多く聞く評価が「相手に打ち込むことで舞台を作る俳優」だ。

演技というのは単純に見ると、僕がエネルギーを与えれば、アクションとリアクションが続くシーンが作られ、シークエンスになる。徹底的に没入しなければそのような流れが壊れてしまう。それを最大限逃さず、相手の感情を感じようとする。時にはわざと意地悪ないたずらをしたりする。長期公演で出演する俳優は本当に苦しい。日増しに緊張感が薄れ、機械的ルーティーンに変わる。そういう時は全く違う雰囲気の演技をすると、相手も「これはなんだ?」と緊張するのが感じられる。そこから面白さを見出すことになる。

ー自分だけが上手くやるのではなく、共演者までも作り上げる能力があるようだ。共演者を尊重してチームを作るという感じだ。

チームワークが最も重要。これがないと何も出来ない。チームワークがよくなかった公演もあった。それは本人が一番分かっている。今日の公演がどうだったのか、いつからかそういう癖ができた。公演中、舞台で一人残らず全ての俳優たちと目を合わせる。見えないものが見える時がある。
『ラ・マンチャの男』でも全ての囚人たちと目を合わせた。その時言葉で表現できないスリルを感じた。本当に感動した。

ーインタビューでも何度も言っていたが、今回が最後の『ヘドウィグ』だと?

米国で他バージョンの『ヘドウィグ』が上演されている。完全に異なるのではなく、スケールの拡大だけ、ストーリーや音楽はほとんど変わらないという。完璧に他のバージョンが出ることを期待したが、それはなかった。
10年間やってきた今回のバージョンは引退しようと思う。たまにやりたい時もあったが、これからはもっと若くて他の側面からアクセスできる後輩たちに渡して客席で観客として見たい。
女装をするにもお腹が出てきてるし。もちろん、ヘドウィグが常に美しくなければいけないわけじゃない。自虐ギャグでたるんだ腹を見せるのもありだが、今回のバージョンはもうやめなければならない。

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ちょっと色々突っ込みたい部分も多々あるインタビューですけど、あらためて読んでみた。
結局この後もう一回『ヘドウィグ』やるけどね、승우。

⬇︎更に去年この雑誌のインタビューで、

「2005年に初演したヘドウィグも5回演った。その度に違う感情だ。10年後にはまた違うだろう」って言ってるんだけど。

今年また韓国版『ヘドウィグ』やるんだけど。どうなの?

https://www.instagram.com/p/Bx2aGoppYa0/

ないかなー…

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