DoubleMintGum

I'm a Feminist,Shipper,Slasher and Fan girl.

Double your pleasure Double your fun,With Doublemint Doublemint gum.

2007年 The Musical Special Interview

神でもない、怪物でもなく、ただの俳優

2007年11月

f:id:linlinsz81:20190609220247j:plain

ドン・キホーテが舞台裏に消えた後、灯りの落ちた渋谷青山劇場を出て乗り換え駅がある新橋まで行く間、ずっと俳優조승우に聞かなければならない話があると考えていた。
The Musical誌で最後にインタビューをしてから2年半という時間が経ち、조승우はかつて誰も到達できなかった場所に上り詰めた。
当たり前のように相次いだのは厳しい批判、そして彼自身がどうすることもできないことへの批判だった。だから、今조승우は自分ができることできないことを区別し始めた。その話が気になった。
急に寒くなった秋の日の午後、天井の高いカフェ、ペーパー・ガーデンで対座した彼はちょっと痩せたようだったが「インタビューを受ける人」という言葉から連想する鋭い冷笑とは程遠かった。
より柔軟で、思慮深く、時には年相応に熱かった。言っておくが、このインタビューの主人公は「見る」조승우ではなく「語る」조승우だ。

f:id:linlinsz81:20190609220246j:plain

f:id:linlinsz81:20190609220244j:plain

ーこの前『ラ・マンチャの男』*1日本ツアー公演を見ました。最も良かった場面は「鏡の騎士」のシーンだった。しかし、マスコミのレビューやファンが印象的だったと言うシーンは概ね、いくつかの曲に限定されているようです。

事実、上演の際は焦点を合わせた部分があります。ボクシングの法則によれば、すべてのパンチをストレートで飛ばさない。ずっとジャブで決定的な瞬間にストレートでワンツーパンチを放ってK.Oさせたり、ポイントを取っているだけですよね。
舞台でどのように感動を与えてメッセージを伝えるのかを考えてみるとボクシングと似た部分がある。劇中のすべての瞬間に主題意識をこめて伝えようとすれば、観客も疲れていく。「鏡の騎士」との決闘は定石的に見た時、感動と深い哲学的な意味まで含めている重要な場面。でも観客が最後に記憶するのはどうしても「見果てぬ夢」のような決定的な曲です。

ーところが『ラ・マンチャの男』や『ヘドウィグ』で同様な脈絡で否定的な反応があった。「軽くはないか」と。

조승우の『ラ・マンチャ』は軽すぎて水の上に浮かんで、笑わせようとするだけで感動がないという話を聞いたこともあります。
『ヘドウィグ』や『ラ・マンチャの男』では「この作品で観客に何を訴えればいいか、どんなことを伝えるのか」という大筋は同じでした。面白くないといけないと思った。『ヘドウィグ』や『ラ・マンチャの男』もコメディー的な要素がある。
僕は『ヘドウィグ』は奥深い主題を盛り込んだ重い作品のように見せてはならないと思いました。ジョン・キャメロン・ミッチェルが初めて作った『ヘドウィグ』は決まった台本もなく、歌数曲だけでドラァグ・クイーンたちが集まるクラブで上演した作品。
本当にトークショーのような自由な形式、ある面ではブラックコメディだが、それを見て笑って大騒ぎをしていた観客が最後のトマトのシーンでは到底言葉にすることができない程の衝撃を受ける。
『ラ・マンチャの男』も同じです。セルバンテスが監獄の囚人の前で、自分を弁論するつもりで始めたことがなぜよりによってドン・キホーテという滑稽な年寄の話なのか。
僕は『ヘドウィグ』と同じ脈絡だと思う。
マニアたちは真摯で深刻なものを望むということも知っている。しかし、違うことをしたかった。劇中にもそうしたシーンがある。
「これは何の弁論だ、今一瞬の楽しさで紛らわそうというのか」と非難するカラスコ博士にセルバンテスが「まさにそうだ」と言ったじゃないですか。

ー韓国の観客は「笑い」ということにあまり価値を置いていないところがある。「おかしさ」を「軽いもの」とみなす。それでも『ヘドウィグ』や『ラ・マンチャの男』で「笑い」を前面に出したのは、一般の観客の反応を引き出すためだけでなく、それが作品の本質に合うと判断したためですか?

そう。風刺、ユーモア、笑いの中の感動、笑いの中の悲劇。この二作品とよく合っていると思ったんです。

ー『ヘドウィグ』初演の記者会見の時「この作品で初めて非難された」と話していました。その後アンコール公演の時もそれが続いたと。そのような状況を甘受してでも『ヘドウィグ』でやりたいことは何ですか?

『ヘドウィグ』の場合は僕たちと情緒的な面で合わない部分があるから、その情緒を均一化させることに焦点を合わせました。そして僕はこの作品がそのまま場末のショーのように見えるといいなと思ってました。これはロックンロールだけど、楽譜に描かれているそのままを歌うのはロックンロールというジャンルを無視する行為だと思ったんです。
ジョン・キャメロン・ミッチェルが書いた台本があるが、それをそのまま舞台に上げて演劇化すれば作家を尊重することになるわけではない。できなかったとか、やってはいけないということは絶対ない。僕はそうしたくなかった。
チープなショー、定型化された枠組みもなく、順序もなく、みんなが予想できるものはないショー。今日何の話、何の歌、何のギャグをするのか見当できないようにしたかった。それで1ヶ月半の間、毎日違うアドリブに毎日違った趣きで歌を歌った。
『レント』の時もそう。毎日衣装を着替えて、毎日違うアクセサリーを選んで、毎日違うトーンでセリフを喋った。

ーそうすべき作品だと思ったからですか?

そうしたかったから。僕自ら演技する機械のようになりたくなかったんです。特に『ヘドウィグ』のような場合は絶対に。初公演を終えた時、惜しさがかなりあって。『ヘドウィグ』を理解していない状況で、ぎりぎりで舞台に上がり、音楽ジャンルや情緒にも慣れていなかった。一言で言えば僕が僕でないようだった。僕はその時『ヘドウィグ』というタイトルの「演劇」を「ミュージカル」をしていた。
『ヘドウィグ』シーズン1公演が終わってから、本当に2年間、車の中でいつも『ヘドウィグ』の音楽を聴いていた。この作家が本当に何を望んでいるのか悩んでまた考え。2年後にやるチャンスがあったらまた挑戦してみたいと決心しました。
僕は『ヘドウィグ』に対する知識が全くない観客が作品を見た時、今この話が、どこの時代、どこの国で起きたのか、いったいどんな人が作ったのか分からないといいなと思いました。
何も与えたくなかった。すべての線を曖昧にしてただそこにいるヘドウィグだけが見えるようにしたかったんです。ヘドウィグの痛み、喜び、悲しみ、この人のすべて。ライトがたった一人にまっすぐに落ちる時のように、他の背景は全て消え、ひたすらこの人間だけを見せたかった。それでできるだけとんでもないことをしてみた。僕は今までやったすべての作品の中で『ヘドウィグ』が一番好きです。

ーその舞台を見られなくて本当に残念です。今の話を聞いて頭の中に浮んだのはジョン・キャメロン・ミッチェルによって毎日新しく創造されていた、初期の『ヘドウィグ』のような感じです。

僕の演技への思い、哲学、演技方式について話したのは初めてじゃないかな。僕がこの演技をどのようにどの部分に焦点を合わせたと話をするのは初めてです。なぜこの話をしたかというと演技には答えがないということを言いたいから。観客に、そして僕を気にしているこっちの仕事をする人達に。演技に、キャラクターに、作品に明快な正解はないという話をしたいからです。その人が思った、その人に与えられた最善であれば、それが一番の答えだと思います。

ー最も関心を持たれているミュージカル俳優は조승우で、最もトラブルに苦しんでいるのも조승우。あなたはインタビュー嫌いで有名だが、関連記事は引き続き世に出ていますね。

僕が『ジキル&ハイド』上演時一回当たり1000万ウォンのギャラをもらい、ノ・ムヒョン大統領のように権力を行使しているという記事、クリスチャンじゃなかったなら、そして昔の性格ままだったならこんな風にいられなかったと思います。悔しい思いで記事を読んで、記者に会って証明できる事実が一つでもあるかと問い詰めて、でなければ僕に公式に謝罪しろと要求したいと思ったこともあります。
普通は「あんなの相手にするな」と思うけど、本当にひどい記事を読んだ時に感じる心臓が震えるほどの感情は言葉では説明できません。
多くの人が勝手に僕を判断して、卑下して、非難するのを見ていると「一体僕がどんな罪を犯したんだよ、僕はただ演技したいだけ、作品に対して真摯に向き合うだけ」と思っていても懐疑心が生まれる瞬間があります。

ーミュージカルの関係者やマニアたちが俳優조승우について最も簡単にいう批判は「欲張りすぎじゃないか」ではないかと思います。

そう言われます。ミュージカルをやり、映画に真剣に取り組み、CFを始め、自己イメージをあまりに濫用していると。
ところでCFは僕にとってバイトです。CFモデルが僕の職業だと考えたことはない。CFの提案があれば、一応商品を見て決定します。消費者に嘘をつきたくないから。マックスウェルの広告を撮ったのは僕が本当にマックスウェルコーヒーを一番よく飲んでいたからだし、もちろん広告は僕に富をくれます。
僕が言いたいのは…何と言うか。お金をたくさん稼ぐのは好きです。貧しい人を助けることができるように教会に献金して、僕たち家族が生活できて、僕は幼い頃から家長だったから。そんなことに対して欲深いと言うなんてあんまりでしょう。
作品の欲は…まあ、それも僕は他の俳優たちより多作なわけでもないのに。

ー作品数に対する話というよりは、年齢やイメージ的に見て無理がないか、という部分を指摘するのでは。とにかく조승우がしたいならやらせる、という話です。『ジキル&ハイド』『ヘドウィグ』『ラ・マンチャの男』などを。

チャレンジ精神が強いからだと思います。つまらない作品はやりたくない。
ジキル&ハイドの時、初めてアンコール公演を行った。それまでアンコール公演をやったことがなかったのに、『ヘドウィグ』でもやって、いつか『ラ・マンチャの男』でもやったりするかな。やりたいなと思います。僕にチャレンジ意識と覇気があり、もう一歩踏み込んでやれることが残っている作品だからです。
ライセンスの問題さえ解決できれば、劇団ハクチョンの『義兄弟』もまたやってみたい。そして『若きウェルテルの悩み』は僕自身が全ての面で安らかになった時、三十歳を過ぎ自らをコントロールできるようになった時にもう一度やりたい。あの作品が終わった後も、精神的にも力が入りました。

f:id:linlinsz81:20190609220245j:plain

f:id:linlinsz81:20190609220248j:plain
ー『嵐が丘』のミュージカル版があれば出演する意向があるという話を聞きましたが。

昔『若きウェルテルの悩み』をやった時に出た話です。面白いと思った。劇団のシム・サンテ代表さんは、悲劇で終わる男の孤独な人生に対するロマンがある。『若きウェルテルの悩み』『カルメン』そして『嵐が丘』まで。でもそんな作品ばかりやっていたら憂鬱になるからもうやめてほしいと言ったのに(笑)

ー조승우という人のロマンは何ですか?

(演出家の)ディビッド・スワンを見ていてこう思いました。本当に天使のような人だと。彼には三歳の娘さんがいるが、スワンは彼女のためなら本当に命を投げ出すかもしれない。
ある日はスワンが槍を持って情熱的に何かを説明していました。昼食時間になるからドアの外で待っていた娘さんが駆け寄って来た時、彼は「ちょっと待って」という言葉もなく持っていた槍を放り投げてきて、娘さんを抱きしめた。その姿が、涙が出るほど美しく見えました。あんな人に、本当にあんな父親になりたいと思いました。
自分の仕事にも熱心で、家庭が充実して、他人を傷つける事は一切言わない。ロマンまではいかなくても、そんな感じなのではないかと思います。

ー「伝説の旗手」と呼ばれるケウォン芸術高校16期卒業生ですね。以前(ケウォン芸術高校同期の)チェ・ジェウン氏にインタビューをしたら高校時代を天国のようだったと回想していました。

本当に天国だった。もし時間を戻せるならあの頃に帰りたいです。高校の時のメンバーは3年間同じクラスだったが、その中でミュージカルを夢見た友達は全員舞台に立っている。チェ・ジェウン、キム・ダヒョン、シム・チョンワン、キム・テフン、チェ・カインまで。
もともと演劇映画学科だが、キム・ダルジュン先生、ナム・ギョンウプ先生がいたからあの方たちを見ながらミュージカルへの夢を育みました。
実際僕たちは問題もたくさん起こしました。一度は問題が本当に大きくなって『ゴスペル』公演直前に全員で髪を剃ったこともあります。ダヒョンがイエス、僕がユダだったが、どこの刑務所の公演かというように頭を丸めて舞台に立った。
最近同期の友達が全員うまく行っていて本当に嬉しいです。ジョンウンが『スピットファイヤーグリル』のときにポリープがあるのに演技してるのを見て、俳優として刺激され、友達としては涙が出ました。
チョンワンが『コンギル伝』にジャンセン役でキャスティングされた時はとても嬉しくてちょっと泣きました。ジェウンとはいつか『ギャンブラー』を一緒にやってみたい。今ミュージカルをやってるケウォン芸術高校の同期で集まってコンサートをしたいという夢もあります。著作権問題のようなものがあるため難しいんだけど。 僕たちでレコードも出してみたいです。

ー若くしてすぐにデビューを果たし、主役をつかんだ。学校より舞台でたくさんのことを学んだのでは。

『春香伝』の時は本当に大変でしたが、そこからスタートして名前が先に知られていなかったら今もアンサンブルをしていたのかもしれない。
僕が立った舞台だけでなく、他の俳優たちの舞台で多くを学ぶこともあります。もちろん、嫉妬も挫折も。
『ラ・マンチャの男』には本当にキャリアの長い俳優が多かった。アルドンサ役のユン・コンジュ、アントニア役のチョン・ミョンウンは本当にあんな子は初めて見たと驚くほどだったし、あ、そしてもう一人息の長い俳優、チョン・ソンファ。
僕たちはお互いを称賛しましたが、チョン・ソンファ兄さんにはこう言いいました。あなたほど僕を刺激して、緊張させる俳優は初めてだと。その感性、スポンジのような吸収力、そして誠実さ。どれ一つとっても、羨ましくないものはなかったです。

f:id:linlinsz81:20190609220251j:plain

f:id:linlinsz81:20190609220249j:plain

ー『若きウェルテルの悩み』映画『フー・アー・ユー?』『クラシック』と段々有名になった時、不思議なほどたくさん聞いた話が「조승우と自分の初恋の人が似ている」という言葉でした。

笑った時に八重歯が見えればみんな同じに見えるんですよ。
その三作品すべてが僕自身を投影したキャラクターではなかった。その(自分の持つ)イメージがあるからか、僕に「変わってしまった」と言ってくる人もいる。
実は僕は高校の時からこのような性格でしたし、もっと子どもの頃は本当に火のようでした。信仰を持つようになり、家族たちと周りの心配してくれる方々のために最近は自制をしています。昨年から僕が言葉で傷つけた人たちには直接会って、謝罪しています。あの時は僕が幼かったからと(笑)

ー本当にこんな質問で申し訳ありませんが、軍入隊はいつ頃予定しているんですか。

大丈夫です。来年行きます。若いうちにしたいことを全部やったので、気楽に行ってきます。

ーいってらっしゃい、と言わなければいけませんね。

いや、その前にもう一度会えると思いますよ。

f:id:linlinsz81:20190609220250j:plain

彼が最後に残した言葉がインタビューのことなのか、舞台の上を指すものなのかは分からない。
しかし、いずれにしても彼は魅力的な対象であり、主体だ。
二十八歳デビュー7年目のミュージカル俳優조승우。
当然ながら彼は、舞台上で一点の間違いもない存在ではない。そしてその当たり前のことを付け加えれば、韓国ミュージカル界で固定化されたスターシステムは彼一人のせいではない。
조승우の驚くべきスター性より尊いものは、言葉で説明するより明確な「どんなもの」かを舞台で見せてくれる彼の直観と執念だ。
2年という短くはない空白を経て조승우は意味深長な年、三十一歳になって帰ってくるだろう。自分が一番輝く空間であり、私たちが彼を初めて見た場所、舞台に。
今までとは違う、また別の何かを持って帰ってくる彼のことを楽しく想像してみる。

※素人の意訳ですが全ての翻訳文章の無断転載禁止、及び引用元を明記せずに無断引用する事もおやめ下さい。当ブログ記事へのリンクは自由です。

*1:2007年9/22〜29、青山劇場にて上演