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지킬앤하이드 Jekyll&Hyde 45 レビュー編

過去何回かジキハイレビュー記事訳をしたが、そうそうそれ、それが言いたかった、という内容の記事を見つけると「ああ同じような意見もあった!」となるわけですよ。

⬇︎私の感想は昨年初回を見た時からあまり変わっていないけど。

승우の舞台をようやく実体験できた衝撃は大きかった。
一回だけでも見たいなーと思っていたのが、気付けばこの半年間で5回も見る事になろうとは…조승우が舞台で放つパワーとオーラにすっかりやられてしまったのです。

しかし作品そのものを大絶賛する事は出来ないし、むしろ批判的に見たんだよねー。
自分の好きなものを批判する、というのは両立する事であるし、批判点を全てなかったことにして受け入れるのはあまりにも無責任な気がするのだ。私は。

古典作品リメイクなどに触れた時に感じる「今は2019年だぞ、いつまでこんな古臭い価値観のまま創作をしているんだ」という憤りも感じちゃうよ。

『ジキル&ハイド』よかった そして残念だった

ミュージカル『ジキル&ハイド』

観覧日:4月24日

キャスティング
ジキル&ハイド:조승우
ルシー:ユン・コンジュ
エマ:イ・ジョンファ

これまで私にとってミュージカルは「近付くにはあまりにも遠い存在」だった。まず地方在住なので、ミュージカル公演を日常的に見るには無理があったし、何よりチケットが高いからだ。
何にも知らずに「一度ミュージカルでも見るか」と前売りサイトで価格を見てそのまま閉じた事もあった。
価格が高い分、作品選択はさらに慎重になった。後悔しない作品を選びたいけど、ミュージカルについて何も知らないので好みに合うかどうか。

このような理由でミュージカル観覧体験がいまだになく、いつか必ず、と思っていた。そして、ついにその時がきた。
ミュージカル『ジキル&ハイド』再演の知らせを聞いたのだ。私でも知っているほど有名な作品であるうえ、キャスティングに「조승우」名が出ており、ためらいはなかった。そんな私の初のミュージカル『ジキル&ハイド』レビュー。
公演ネタバレを含む。

 

1.俳優そして演技

すべての作品もそうだが『ジキル&ハイド』では特に俳優の演技が重要だ。二重人格という素材の特性上、ジキル&ハイド役の俳優の演技に作品の質が左右されると言っても過言ではない。

2004年に初演された『ジキル&ハイド』が15年過ぎた今でもその名声を維持しているのも、俳優たちが役割を見事に果たしているからだ。
その中でも조승우は「조지킬」と呼ばれ、観客の絶大な支持を受ける俳優だ。私も観覧後は彼に賛辞を送るしかなかった。
조승우はやはり、조승우だった。
ミュージカル俳優の조승우はドラマや映画とはひと味違う妙味があった。ミュージカル特有の誇張された演技、発声法と生々しい臨場感が加わり更に魅力を感じた。
一番記憶に残る場面、ジキルとハイドの間を刻々と行き来する彼の姿は圧倒的だった。多くの人が言うようにまるでマジックショーのようだった。「だから同じミュージカルを何度も見に来るんだな」と、ミュージカルオタクの心情を理解する事ができた瞬間だった。
また、エマ役のイ・ジョンファの清雅な声にはおのずと感嘆の声が出るほどで、ルーシー役、ユン・コンジュのハスキーな声と巧みな演技は、チケット代が惜しくないと思った。

 

2.難しくない内容

『ジキル&ハイド』は初心者に適したミュージカルだ。
『ジキル&ハイド』の原作小説が二重人格の代名詞になるほど、ストーリーが有名だからだ。詳細な小説の内容は分からなくても『ジキル&ハイド』といえば「善と悪」「二重人格」というキーワードが連想される。
これだけでも残りはミュージカルを見ながら十分に理解出来る。
ミュージカルの舞台様式、俳優の発声法などすべてに不慣れな初心者がこのミュージカルを気軽に楽しむ事が出来る理由だ。
また、ストーリーだけでなく、曲も有名。
「今この瞬間」はどこで聞いたかは分からなくても必ず耳に残っている。全国民がこのミュージカルのナンバーを少なくとも一曲は知っている事になる。実際、この曲が始まった瞬間嬉しい気分になるだろう。

 

3.しかし、残念だった

残念だった部分も少なからずあった。多くの人が『ジキル&ハイド』の問題点として指摘する部分でもある。女性キャラクターの存在と刺激的な場面だ。

  1. 女性キャラクター

    正直言って『ジキル&ハイド』で女性キャラクターの比重には期待していなかった。ミュージカルにおける女性キャラクターの扱いについて既に知っていたし、更に『ジキル&ハイド』は主人公の比重があまりにも大きいからだ。
    予想通り女性キャラクター「ルーシー」と「エマ」に与えられた劇中の役割は微々たるものだった。ジキルあるいはハイドの恋人、それが全てだった。
    知っていたとしても期待しないわけではない。制限的な役割であっても、どのように解釈するかによってキャラクターを魅力的に描くことが出来るが、この舞台ではそのような努力が全く見えなかった。
    あまりにも典型的かつ受動的な女性キャラクターだった。純潔な聖女のようなジキルの婚約者エマは平面的なキャラクターの典型であり、風俗街の女性ルーシーが他の男とは異なるジキルに恋に陥るのは陳腐な展開だった。
    今回のキャラクター設定で彼女らに特別な魅力を感じる事は難しかった。

  2. 8歳以上観覧可能。
    『ジキル&ハイド』には殺人、暴力などといった刺激的な要素が多数含まれる。ルーシーのキャラクター設定自体が風俗街の女性で、ハイドの悪を表現する方法が殺人だから考えてみれば当然のことだ。
    ここまでは見過ごせても、少女を性的に暴行しようというシーンは思わず眉をしかめた。不快だが、その場面で問題を提示するためのものだったとすれば納得できたはずだ。しかしそれよりも、宗教人の堕落した姿を断片的に示して彼を通じてハイドの悪を暴くための手段に過ぎないシーンだ思った。

満足でもあり残念でもあった最初のミュージカル観覧だった。初めてなので比較対象がないが、なぜこの作品がステディーセラーなのかを理解することが出来た。これから他のミュージカルを観覧すると、この意味も変わるかもしれないが。『ジキル&ハイド』は10年以上の間愛され続けた作品だけに、今後も興行を続けて行く可能性を持っている。

しかし時代は変わりつつある。この作品が次々と興行不敗を達成するためには、多くの人が指摘する部分について向き合う事が必要ではないかという気がする。次に訪れる『ジキル&ハイド』には、このような試行錯誤の痕跡が見える事を期待している。

artinsight.co.kr

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