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イ・ドンジン氏による승우インタビュー

 ※素人の意訳ですが全ての翻訳文章の無断転載禁止、及び引用元を明記せず、下記文章をコピペで無断引用する事もおやめ下さい。
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2008-10-06『イ・ドンジンの映画の風景』

조승우には何か特別な時間の感覚が滲んでいる。たとえば、彼は郷愁を体現している俳優だ。いつも情感が生きている彼の演技を見ていると、しおりやアルバムに、それぞれがきれいにしまっておいたかすかな思い出が甦るようだ。
12本に上る出演作のうち、半分以上が過去の時代を舞台にした映画というのは偶然ではないだろう。もしかしたら、조승우という俳優は私たちがスクリーンで過去を思い出すためにいるのかもしれない。

조승우初の音楽映画の舞台1970年代は彼の父(チョ・ギョンス)が歌手として人気を博した時代でもあった。
この映画を見てその事実を思い出すこともやむを得ないだろう。 そのすべてが過ぎ去った時代の思い出であり、郷愁だった。

조승우とのインタビュー当日、質問の内容を詳細に記していたPCを置いて行くというミスを犯した。インタビュー場所のカフェに到着しその事実を悟りしばらく当惑したが、準備したすべての質問を忘れて即席で対話を続けることにした。

二時間の間、いつのまにか20代の最後の日を迎えていた彼からは成熟した人間の魅力が窺えた。5年前に初めて彼を取材した時には全くなかった感じだった。
その日、カフェのスタッフのノートを破ってまとめたメモ用紙に、彼の言葉を書き取っている時何回かじんとくる瞬間があった。조승우も多分そうだったのではないか。


ー 『ゴーゴー70』は、조승우さんにとってすごく特別な経験だったようです。 完成した映画を見てどのように感じましたか。

期待が大きかった。今までは企画段階からキャスティングされた後、シナリオが完成されていく過程でも意見を出すこともなかったですから。 みんなでチームを組んで映画を一緒に作っていくという感じだったでしょうか。そんなのはこの映画が初めてです。

ー監督と俳優とプロデューサーと音楽監督まで、『フー・アー・ユー?』と、メンバーがそっくりそのまま集結した。 実は私は以前に『フー・アー・ユー?』の中で、조승우さんが歌う場面を初めて見たとき、新しい青春スターが誕生したという感じを強く受けた。実際のスターの座に就くことになったのはもう少し後のことでしたけど(笑)また集まって一緒に作業してみると、以前に比べてどうですか。

僕の好きなOSTがまさに『フー・アー・ユー?』です。映画は正統メロだが、当時はチェ・ホ監督が僕をちょっと息が詰まるようだと思ったようです。現在、僕は29歳だけど映画の中でそのくらいの感覚でやらなければいけなかった。仕事に疲れ果て、20代後半の男性が1人の女性を通して新たに愛を発見するという話ですからね。しかし、当時の僕は純真な原則主義者でした。 若年寄りのような感じもあったんです。 一緒に主演したイ・ナヨンさんも似たような感じ。若年寄りの二人が出てくるメロドラマになったので息苦しかったと思う。僕も深刻だったがイ・ナヨンさんもちょっとひどかったです(笑)

ー現場で監督とちょっと揉めたりした部分がありましたね?

お互いに色々ディスカッションもしたんです。それでも最善を尽くして演技を終えました。でも完成した映画を見ると監督の考えが正しかったということを実感しました。監督の個性がとても強いということも分かったし。さらに、パン・ジュンソク音楽監督が参加したOSTが最高でした。

ーそれでは『ゴーゴー70』は、どのように始まったのですか。

『タチャ イカサマ師』を終えた頃、監督が突然やって来ました。 座るやいなや最初の言葉が「ゴーゴー70という、70年代のロックバンドの映画を作るつもりだ」というんです。 続いて「音楽監督はパン・ジュンソクで、製作者は映画会社ボギョンサを新設した代表だ」と付け加え興奮した。気分が良くて、その日はワインを飲みすぎました。二日酔いで数日間苦しんだので、その後の2年間はワインを飲まなかった(笑)以降シナリオを練り続け、その過程で2つのバンドが競合する構図の最初のストーリーラインから、今のようにデビルズという実在のバンドを扱った作品になりました。

ー『ゴーゴー70』でデビルズのリーダー役は、映画や舞台ミュージカルの両方で大きな成果を収めた조승우という俳優にぴったりなキャスティングだったと思います。 他の選択肢を考えにくいほどですが、そうなればなるほどプレッシャーが大きいこともあったのでは。

ミュージカル俳優だから音楽映画に主演するのは何の負担もない、と言う人もいたがそんなことは全くありませんでした。それに再び僕にオファーを下さって感謝の気持ちもありました。

ー『フー・アー・ユー?』でギクシャクした面もあったものの『ゴーゴー70』ではどのように再び組むことになったんですか?

チェ・ホ監督の前作での決断が本当によかったんじゃないですか?とても個性があり完成度の高い作品でした。前作でちょっと色々あった僕に再び手を差し伸べるのかと聞いてみたら「私たちはファミリーじゃないか」とハッキリに答えてくれましたね(笑)その言葉を聞いて本当に気分がよかったです。僕を認めてくださってまた作品に起用するということですから。僕としてもとても意味のある事でした。

ー確かに『ゴーゴー70』は、これまでの忠武路音楽映画とは異なります。 文字通り音楽とバンドが主人公である映画です。 劇中で演奏して歌う場面は録音された曲を口パクで合わせる他の映画とは異なり、俳優たちが実際にライブ演奏する姿を複数台のカメラで撮りました。 実際そんなシーンを演じたときはどうでしょうか。

音楽映画は『ゴーゴー70』が初めてでした。 映画の中で歌って演奏する場面は本当にライブをしているんですよ。 僕と一緒に演技したチャ・スンウさんやシン・ミナさんもそうです。

ー特に10台のカメラで撮ったクライマックスのコンサートシーンはどうでした?

最後の曲なんて完全にトロットじゃないですか? そしてパンクのようでもある。劇中の状況のように実際に現場で水をかけて撮りました。 みんな狂ったように没入し、チャ・スンウさんは激しくギターを弾いて、手が血だらけになったのに気付かないんですよ。 誰もがハイになっていた。エキストラの人たちも目がいってました。 ライブに興奮し酔って倒れている人までいて、本当に俗っぽい言い方ですけど、ヤバいですね(笑)映画を撮りながらこんなことがあるのだろうかと思った。 感動しました。

ー今までそのような感じを受けたことはありましたか。

一度だけありました。 舞台ミュージカルの『ジキルとハイド』の公演の時。 最初の公演を終えてカーテンコールのために舞台に歩いていく。客席の観客が全員スタンディングオベーション。 その方たちの顔が見えた、顔が涙でぐちゃぐちゃな人もいて息絶え絶えな人もいました。 本当に空を飛んでいるかのような「ここが天国か」と思った。 『ゴーゴー70』のクライマックスのライブシーンもそういう喜びに感極まりました。 客席を見渡す時の気持ちは、本当に... (笑)さらに嬉しいのは、それが映画の中でもちゃんと感じられるところ。

ーこの映画のためにギターを学んだでしょう? 조승우さんがこれ以前にギターを弾かなかったという事実に私は驚きました。 さまざまな楽器に精通していると思っていた(笑)

非常に幼い頃から音楽教育は受けました。 母がミュージシャンと出会って結婚した後、別れましたが。 ピアノは三回バイオリンも二回挑戦しましたが、練習が嫌で先生から逃げてばかり。美術もやりましたが追い出されました。 小学生や中学生時代に何かを学ぶのは仕事のように感じられて嫌だった。 楽器よりもミュージカルに夢中になり、高校時代は歌の練習に没頭しました。歌だけは本当にたくさん練習しました。

ーその他に何か挑戦したことはありませんか。

うーん...この話をするのは初めてですが。 幼い時家に古いギターがありました。 多分父親のものだった。 そのギターがしきりに孤独感を刺激し、過去を思い出させるので捨ててしまいたかった。だから手をつけていない。 全く魅力を感じなかった。
『フー・アー・ユー?』でギターを弾くシーンがあったので練習をしようとしたら、監督がギターは弾く真似だけでいいと言うので練習をやめたんです。でも実際に映画を見たら、弾いてないのが全部見えてました。監督に騙されたんです(笑)みんな僕が弾いてると思っている。そのまま黙ってましたよ(笑)
『ゴーゴー70』でいよいよ本格的にギターを弾かなければならないという話を聞いて、コードも4つしか知らないし、最終的に先生について練習した。実際に優れたミュージシャンであるチャ・スンウさんのライブも見ました。素晴らしかったです。いつもギターを持ち歩き、少しづつ続けて練習し今ではギターが命です。 僕は趣味がない人間なのに、ギターが趣味になりました。ギターはいいですよ(笑)複数の感情を表現しながら、人の感性を表現することができる楽器と考えています。 エレクトリックでもアコースティックでも、それぞれの色があります。 見ているだけでも良いです。

ーひとりでいる時はどのような曲を演奏していますか。

『ゴーゴー70』に出てくる歌はもういいです。 音楽番組「ユン・ドヒョンのラブレター」を最後にデビルズを卒業したい。 代わりに「Across the universe」のようなビートルズの曲を主に演奏しています。 チャ・スンウさんがビートルズコード集をくれました。 エリック・クラプトンの「Crossroad」には、ブルースの曲に使われるすべての答えが入っているから、マスターしろとも言われました。

ーこのようなお話をしていいのかどうか分かりませんが、チャ・スンウさんとあなたは実際には名前が同じだけでなく、家庭背景まで似ています。 お二人の父が70年代のポピュラー音楽を席巻した方であり、そのような父と別れて生きていかなければならない状況まで。
当時の大衆音楽を扱った『ゴーゴー70』をみるとどうしようもなくあなたのお父様を思い出す。 さらに、映画の中の조승우さんのヘアスタイルさえ、私が子供時代にテレビで見て覚えているチョ・ギョンス氏のヘアスタイルと似てたんですよ。

『ゴーゴー70』が参考にした「韓国ポップスの考古学」という本を監督がくださった。本を開いてみると色々な写真がありますね。 もちろん、父は70年代にバンドをしてソロでデビューしたが、音楽的には『ゴーゴー70』のデビルズとは全く違います。 むしろ僕は母親から影響を受けました。 ストーリーについては「昔のクラブに行けば歌手がゴスペルを歌っていた」と。偶然にも監督もほぼ同じ話をしました。 そして、僕が民謡を歌うシーンがあると言うと、母が突然「鳥打令がいい!」と言うんです。 すでに脚本では「鳥打令」を歌うことになっていた(笑)母は僕が子供の頃子守歌に「鳥打令」を歌ってくれました。 映画の中での僕の「鳥打令」の歌唱法は実は母の歌い方です。

ーお姉さんやお母さんはこの映画をご覧になりましたか?

姉は映画を気に入りました。 その後最後にこう言った。 「これ、パパが見たら嫌な顔をする」と。

ーお父様はまだ見ていないんですか?

多分公開したら見に来られるんじゃないですか。

ーデビュー後数年の間、あなたは自分の父が70年代の代表的な歌手だったチョ・ギョンスさんという事実について口を閉ざした。 これまでも、私は조승우さんが父のことを語るインタビューを見たことがない。

もともとミュージカル俳優が夢でした。 映画デビューのきっかけは教授の推薦で『春香伝』のオーディションに行ったので。 人生計画になかったことだが「一度試してみよう」と思いました。 父の話をすれば、少なくともその世代の人の間ではもっと有名になれるが、それをしたくはなかったから。 当時そういう感情だった。

ーそれでは、今はいかがでしょう。

今は何もありません。 会ってないですけど。 昔は孤独だったり父親がいる家がうらやましかったが、その寂しさのために俳優として表現が豊かになったのも事実です。 感情を強く表現しなければならない場面では、それを思い出して燃やしながらやる時もあります。 年を取っていくと父への恨みがますます薄くなりました。 もちろん、父のいない寂しさを母が見事に補完してくれたからでもある。
僕が3歳の時離れていった父が中学の時しばらく家にいることがあったが、不快でしたよ。 母は再び戻ってきたと思ったか分からないが、父には既に他に家庭があったので、また我が家を傷付けることを許せなかったでしょう。

ーお父様は今韓国にいらっしゃるんでしょう?

韓国にいます。健康に暮らして欲しいですね。お酒も減らして。お幸せにと。

ー撮影のために最近は映画を見ていないかもしれませんが、何か印象的な作品はありましたか?

黒澤明監督の昔の映画『7人の侍』をやっと見ました。演出も演技も本当にすごく魅力がありました。(現在조승우と『炎のように蝶のように』を撮っている)キム・ヨンギュン監督がDVDをプレゼントしてくれて見たんですよ。1秒の退屈さもありませんでした。

ー韓国映画はどんな作品を見ましたか?

試写会で『あなたは遠いところに 님은 먼곳에』を見たけど、とても良かったです。イ・ジュンイク監督がこの映画で何をおっしゃりたいのか明確に感じることができました。とても面白かったが、何より映画が人間的なので良かったです。スエ氏もとても印象的ですね。これまでのイメージと違って自らを破って演技する姿が見えました。ある瞬間それらを楽しむ視線が見えたんです。直接聞いたところ、僕が『タチャ』を撮った時もそうだったように、スエ氏もその映画を通じて自らが開かれる経験をしたそうですね。

ーあと少しで30歳になります。更に十年が過ぎて40歳になったらどんな風になりたいですか?

かっこよく老けたい。 チェ・ホ監督やキム・ヨンギュン監督のように素敵に年齢を重ねたい。親しい先輩であるチ・ジニさんやファン・ジョンミンさんを見てもそうです。 お金がなくて途方に暮れ焼酎を飲みながら悩む姿も見ました。 それとともに、最終的に良い作品と出会って良い演技者としての真価を見せて最高の俳優になる姿と、良い配偶者と長い恋愛の末に結婚して子供を産む姿まで見ました。 僕が最も好きな人たちが、間違った道に行かないようにリードしてくれて、僕を守ってくれたと思います。だから40代は怖くない。 誰かの必要な人になりたい。 脇役でも端役でも僕を必要とするところで。何か面白いものを見つけて楽しく暮らしていきたい。高校時代の先生がすごく素敵だったんです。 後輩たちに少しでも役立つことができるようになり、出身校であるケウォン芸術高校で週に一度でも講義をしながら、純粋な子供たちとの交流もしたいです。

ー他人の夢を聞くだけでも気分が良くなりますね(笑)家庭的にはいかがでしょう?

愛する人と良い家庭を作るでしょう。 僕自身はロマンチストだし、人生や愛のすべてに常にBGMがなければいけない(笑)僕たちの家には、素敵な背景の中で笑っている家族の写真があり、庭には子供たちが遊んでいると思います。BGMには明るいポップソングが流れます。 そんな家庭を作りたい。それが夢です。

ー一緒に演技したシン・ミナさんやチャ・スンウさんとはどうでしょうか。 二人とも『ゴーゴー70』でかなり魅力的な姿を見せていた。

この映画では、俳優シン・ミナさんの新しい姿を本当にたくさん発見することができると思います。 撮影を開始する前に、実際にはシン・ミナさんてちょっと幼いと思っていたので俳優として驚きを感じました。シン・ミナさんが最もきれいに見える映画がこの作品であると思います。 民謡をスタジオで録音する場面であまりにも明るく笑う姿に「君がこんなに綺麗な女優だとは知らなかった」と話した(笑)

ーチャ・スンウ氏に対して、これまでのあなたの言葉を聞いてみると、儀礼的な賞賛ではなく本気で高く評価していると分かります。音楽家であるチャ・スンウ氏は演技が初めてだったのに、劇中で조승우さんと激しく争う場面のようなところではびっくりするほどのエネルギーがあふれていましたね?

言われたその場面を撮るときは僕も鳥肌が立ちました。 チャ・スンウ兄さんに「今年の新人賞はあなたしかいない」と言いましたよ(笑)あまりにもこだわりが強い人であり、音楽に陥っている人なので、今後演技を続けるかは分からないが、俳優活動を継続してみろと言った。 実兄のような人であり、僕の演技にも大きな衝撃を与えた人です。人間的に見ると、チャ・スンウ氏は、歴史に残る人だと感じます。

ー歴史に残るというのはどういう意味ですか。

何か重要なことをするような人であり、すでに何かをやり遂げた人です。 あの若さでノーブレインを率い、すでに大韓民国の歴史100名盤の一つに数えられるアルバムを作った人じゃない? 追求するものとそうでないものとの間に明確な線があってブレが全くありません。 ミュージシャンとして歴史に残る人物だと思います。 『ゴーゴー70』を撮る前に合宿をし、ワークショップをしたときロックの歴史の資料を見る時間がありました。その都度チャ・スンウさんが出てきて説明してくれて、それは本当にすごかったんですよ。

ーその講義、私も一度聞いてみたい(笑)

エピソードまでいちいちすべてを説明してくれましたよ。 さらに演技もうまい(笑)

ー初めて演技をする者に対し、すでに確固たる位置に立った俳優がそんなにまでおっしゃることができるという事実自体に、조승우さんから深い印象を受けます。だってチャ・スンウ氏の驚くほど自然な演技は本人の性格そのもので、一度だけだから可能な演技だと思うかも知れないでしょう。

本人は自らについて今おっしゃったように話すんですよ。そのためか、アフレコの時はとても苦労もしました。本当に動物的本能で(笑)バスの横で僕と喧嘩するシーンの撮影の時に、カンカンに腹を立てながらもその視線にむっとする。腹を立てているのではなく、バンドに対する様々な感情を出して「全て知っていながらこんな?」という感じでメンバーたちを見て怒りを震わせながらバスに上がる、本当に幻想的な演技でした。

ー『ゴーゴー70』の演技は何よりもチームワークが重要な場合だったようですね。デビルズというグループ自体が主人公の映画ですからね。 その点で、私はいつもよりわざとトーンを高めながらも、よく洗練された조승우さんの演技がこの映画の中でしっかり求心点の役割をしたと思います。 バンドメンバーである他の方の演技がもっと自然に噴き出し散らばる煙であった場合、조승우さんの演技は、そのようなエネルギーを一ヶ所に集めてくれる役割をしっかりと果たしたからです。

監督が映画が進むにつれて、同じバンドのメンバーである俳優たちがみんな兄弟のように変わっていく様子を見ながらとても満足してましたよ。 当初シナリオでは、男女の三角関係も組み込まれたドラマもあったが、自然にデビルズが主演の映画に向かって変化したと思います。 実際ミュージシャンであるソン・ギョンホ氏やチャ・スンウさんのようなメンバーが自然に演技できるようにカメラと照明の衣装まで監督が丁寧に気を使いました。 その方たちが普段使う言葉も脚本に反映するほどでした。

ーそれでも初めから彼らが容易く演技出来たわけではありませんよね?

事実、最初は僕がリーダーになって、自分の家でみんなで台本を読む時間を作ったんですが本当にとんでもない状況になりました(笑)
最初はそんな風に苦労したものの、みんな現場でどんどん体得して行ったんです。後にはむしろ僕が枠組みを破ることになりました。僕はこの映画を撮りながら「僕の演技に合わせてくれ」という形で相手俳優に望んでいなかったんです。あまりにも長く一緒にいると全てのことが自然になった。監督にも演技をしていない俳優たちをコントロールすることができるという信頼があったようです。

ー私は『ゴーゴー70』を非常に興味深く見ました。ところが、ちょっと物足りなさが感じられる場面もあった。たとえば警察署で拷問されたバンドのメンバーたちが風呂にまた集まって再結成を決意するシーン、状況設定から演出と演技までも慣性的という感じでした。生気があふれる他の部分に比べると物足りなさが残るシーンだったんですよ。そのシーンで演技する時はいかがでした。

その部分がこの映画で唯一の再撮影したシーンです。他のところで撮ったのが再撮影時に風呂に変わってしまった。 再撮影自体に対して事実不満も多かったが撮ってからは満足でした。 その場面で重要だったのは、メンバーたちのみすぼらしい姿だったと思います。その直前に大変な拷問を受けたにも関わらず、その状況で、メンバーがあまり文句を言わないという点です。 薄汚いみすぼらしい姿が美しく表現されているのです。 そのシーンであざが入った尻が五つ出てくる。他の映画でたくさん見られた形式であっても異なって表現されたと思います。 風呂という設定にも意味があったんです。

ー今まで全部で12本の映画に出演しました。30になってから20代に撮った12本の中から3本だけ残して、残りは全部なくすべき状況が訪れるならどんな作品を選びますか?
『ゴーゴー70』は今広報している作品だから除外します(笑)

それなら、まず『ワニとジュナ』で…『マラソン』と『タチャ』を挙げなければならないと思います。それにしても3本って少なすぎます(笑)

ー『ワニとジュナ』は、조승우さんにとってどんな意味がある作品ですか。

もう映画に対する夢を諦める事にした時、その作品に出演する事になりました。
僕の可能性を見てくれたキム・ヨンギュン監督が捜してくれて実現した作品でした。後で知ったのですが、当時、制作会社は僕のキャスティングに反対したそうです。監督は必ず僕を使わなければならないと主張していたが、上の方々を説得するために僕のオーディションだけ別枠で撮ってくれました。キム・ヒソンさんの役を監督自身がやってくれた(笑)その時の監督の目が尋常ではなかった。普段強面なのにその瞳には僕への愛情がたっぷり込められていた(笑)キャスティング関連の裏話を後から聞いて本当にカっとなった。僕はクソ俳優とよばれていた(笑)脇役で注目されていないから撮影現場では椅子も用意されてなかった。だからどんなシーンでも後ろに立ってモニターを見てた。監督が椅子を出して下さって、座って見てと話しかけて下さる、その言葉が世界で最も暖かく感じられた。『ワニとジュナ』を撮りながら、映画がこのようなものなら僕にもできるという気がしました。
その時僕は家族を扶養しなければならず、この作品をして経済的支援も得た。映画俳優でいなければという決意を持った作品なので大きな意味がある。映画的にも非の打ち所がなくとても綺麗な作品です。

ー『マラソン』はどうですか。

最初はシナリオを読んで逃げようとしました。これは僕にはできないだろうと思ったんです。できないと述べた後、知り合いの方から電話が来て、なぜやらないのかと。結局、ある日の夜にまたシナリオを読むと胸が熱くなり涙を流しましたね。そんな紆余曲折の末にやることになった作品です。チョン・ユンチョル監督は天才性があると思います。『マラソン』を通して俳優としての地位が強固なもの人々に広く知られるようになり、大きな成果がありました。

ー『タチャ』は出演しながら、自らの枠組みを破ることになった作品だったのが思い出されます。

僕は若さというものを楽しみながら生きてきませんでした。ところが、その映画で改めて20代の時に出来る事がまだとても多いということを感じました。
「僕が自由になっても誰も何も非難出来ないんだ。僕は僕なりに生きていけばいいんだ」と考えるようになるきっかけを与えてくれた作品です。この映画をやりながらそんな風に考えました。カメラに対する負担もこの映画以降減ったし。一緒に撮った人同士が、チームワークがとてもよかったんです。チェ・ドンフン監督もすごく立派で、しかも大ヒットしたし(笑)

ー20代の最後の年を送りながら、自らを省みるきっかけが多いだろうと思います。軍服務も待っています。最近はどんな考えですか?

12本しか撮っていないからちょっと恥ずかしいけど。僕がカメオ出演した『YMCA野球団』のような映画も含めて、ですから。しかし、僕も最近、確実に20代を整理する気分です。『タチャ』や『ヘドウィク』あるいは『ゴーゴー70』に出会っていなかったら、今のように余裕を持って20代を終えられなかったと思います。30になったから新しい何かが来ると思ったりはしません。危機もあるが、もっと多様な役割が生じる恐れもあるようです。もちろん反対かもしれないけどね。
僕の年が30代になって映画界が激しく不況になれば、僕を使ってくれないのではという不安もあり、自分の意地が世の中と妥協したらどうなるかという不安もあります。
しかし、もうあまり心配しません。
言うなればロック音楽のように何とかなるんじゃないですか(笑)

 

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